さなぎ長文

けいば 妄言

倶利伽羅峠を超えて

夕闇の倶利伽羅峠を超えて私は金沢に行くのだけれど、なぜ金沢にいくのですかと言われたらそれはおそらく吉原騎手を応援するためで、いや寿司を食べに行くためかな、それともあの雲に覆われてもなにか朗らかな日本海の街に行くためなのかなと思いながら目を閉じた。

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 「さなぎさんの2番目に好きな騎手を教えてください」と言われた場合、私はずっと悩むのだと思う。悩んで悩んで悩みきって最終的にこう言うのだと思う。「地方と中央分けてください」と。そのくらい福永さんと吉原さんどっちが2着なんだろうとおもったのだけれどまあそれはあとでいいです。
 吉原さんはいつも寿司職人みたいな感じの雰囲気を湛えていた。寿司職人である。どちらかというと高級な銀座のお寿司屋さんじゃなくて、でも銀座のお寿司屋さんを遥かに凌駕するくらいの美味しい漁港の商店街のお寿司やさんだといい。そのイメージは金沢競馬に寿司があるからだけではといわれたらそうなのだけれど、冬季限定騎乗の吉原騎手を見てその出自を調べた時、やはり金沢競馬という寿司が それも地の寿司が格安で食べられながらも競馬が見られる魅惑の場所に惹かれざるを得なかったのだ。
 そうそう御神本さんが都心の美術館に飾られている芸術作品だとしたら吉原さんは漁港の商店街の寿司職人なのである。何も現実が見えていない。話を金沢競馬にもどすと、金沢競馬もネット中継で見られるのだけど。大井と違ってずいぶんのんびりした競馬場だなあと思っていた。掲示板は手書きだし、なにより内馬場もあって広いし、日本海のそばにある。

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 お寿司を食べながら吉原さんを見よう

 思い立ったのは早かったのだけれど、自分は旅をするのに二つの都市を訪れるのが好きだからその前には富山に寄っていた。

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(砺波はチューリップがなくても水車がすごい


 その日の富山は晴れ渡って居た。でも私は風の噂で聞いて居た。北陸はだいたい雲に覆われて雨や雪がしたたることもおおい。関東で見るならばくもりがちな空においてもそれは晴れと言われるくらいなのだ と。 だから私は恵まれているのかもしれないがこれは金沢競馬に行く日以外の話であった。

 そして倶利伽羅峠にもどるのだけれど。
 富山から金沢に至る道。田園風景を抜けてまるで世界ごと夕闇に暮れてしまったのかと思うようなくらいくらい倶利伽羅峠を車窓から見て、その風景を頭に焼き付けて居た。写真をとるのは忘れてしまった。でも不思議な感覚は忘れはしないだろう。都市と都市の間にありおしだまるひとつの峠は、私に何も言わないで視界から過ぎ去ってしまい、知らないうちに私は大きな大きな鼓門を見て居た。金沢についたのだ。

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 お寿司を食べながら吉原さんを見よう

 吉原さんは日本を飛び回るジョッキーである。岩手で重賞があれば新幹線にのり、佐賀で重賞があれば飛行機にのり、南関で重賞があれば普通に来られる。だから金沢遠征をしたところで吉原さんを見られるわけではない(でも金沢競馬全体が好きというのもあったからどちらでも大丈夫は大丈夫だった)けれどその日はちゃんと吉原さんは騎乗予定があった。よし。金沢競馬に行こう。

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 金沢競馬への道はそんなに難しくなかった。ただただファンバスにのれさえすればいい。ファンバスの中はさすがに博徒でいっぱいで、早くも今日の船橋の重賞であるかしわ記念の話までしているおじいちゃんもいた。おじいちゃんは「大井の森がさ」と言っていましたが森さんは船橋ですあしからず。そんなおじいちゃんの一人に「お嬢ちゃん馬をみるのは初めてかい?」といわれたこともあったけれど、正直に答えてしまった「普段は南関で、今日は旅打ちです」

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金沢競馬は ただぼやっとのどやかに存在して居た。
 小さなパドック、ビルの屋上からはためく横断幕。潟から吹く風、博徒の、ちょっとこわいけど、訛りも含んだ優しいささえ含まれる語り方。
 それに包まれながら、沖さんだとか、柴田さんだとか、それこそ吉原さんだとか、金沢で名前は知っている騎手さんたちが現れる。手書きの掲示板。一匹だけの誘導馬。牧歌的とも言えるまでにのんびりしたパドック解説の声。
 北陸は曇りの空と倶利伽羅峠の間にある。

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 身を切る切なさもなく、心臓をえぐる躍動感も息を潜め、それで完成する最大限の安心感が金沢競馬にあったのだ。それはまるで故郷のない人間に故郷を与えるかのような塩梅で、私にのんびりとした競馬を見せてくれて居た。オッズの塩梅も、配当金も私にはわからない。ただ私がわかるのはそこにいる方々が全員、ホースマンもトラックマンもそこに働いている方々も全て、のんびりと、ただまじめに、わいわいと。競馬をやっている姿だ。

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 でも 倶利伽羅峠を挟んだ北陸には雨が降る。

 金沢玉寿司のあまみのある白身魚を食べながら吉原さんのパドックの輪乗りを撮ろうと思って居た私の試みは、篠突く雨にあえなく阻まれた。仕方がなく畳敷きの自由席に移動して寿司を食べながら吉原さんを見て私は確信した。私は 北陸が好きだな と。

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 それはおそらく その後日快晴の偕楽園やタレルの部屋を見られて増強された郷愁かもしれないし、寿司のうまさに耽溺した結果なのかもしれない。でも私は あの やけに白い金沢の曇り空と、広い金沢競馬場の、古風でさっぱりした設備と走り切るジョッキーや馬たちに思ってしまったのだ。私は北陸が好きなんだなと。そしてほくりくのおいしいすしがすきなんだなと。持った寿司よりはるかに小さな大きさで遠く走る吉原さんとサラブレッドを見て僕はこころのなかで呟いたのだ。

「ほくりくの、おいしい、すしだよ・・・・・」

 

 後日、この文言を冠レースの名前につけ、見事に現地観戦できなかった話はとてもあとに話すことにする。なお、無観客競馬が解除された暁には、年内でも第二回ほくりくのおいしいすしだよ杯を敢行する、よていである。