さなぎ長文

けいば 妄言

博才を持たない私と僕の巡礼の盛岡

 

 

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 荘厳に響くチャグチャグ馬コの鈴の音を耳にして私は背筋を伸ばした。とうとうここまできてしまった。自分とて世間とて最も美しいジョッキー、御神本騎手を追いかけて盛岡まできてしまったのだと。しかしてそれは、夜闇の中南部杯の旗のはためく向こう、岩手のジョッキーさんたちが楽しげに餅を撒いている頃には認識を改めなければなかった。私は盛岡まできてしまったのではない。盛岡に来たのだ。

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 マイルチャンピオンシップ 南部杯

 歴史の深いG1レース それに御神本騎手が参戦する それを伝えるツイートは まるで全文がmixiの赤文字のようになって自分を揺り動かした。じゃあ盛岡にいこう 盛岡に行ってしまうしかない。その頃の私は判断力がなかったから宿だけとって、まるであしたにでも破産するような覚悟で新幹線の当日券を待つことになった。そこで我々を襲ったのは、あの台風であった。
 その台風はわたしにとって忘れられない台風になった。実は私は御神本氏の参戦を知る前に決めていた予定があって、フリートウィークという護衛艦の大公開日に赴くことにしていたのだ、故に参戦を聞いて盛岡行きを決めたのち、錚々たる護衛艦を見られないのは残念だなと思っていた 台風はその催事を吹き飛ばした。そして私が乗るはずだった新幹線すらも。

 新幹線が出ない

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(五千円くらいはらいもどしがきた)

 それは大変なことであった。ただ自分は諦めるわけにはいかなかったので東京駅の改札前に座り込み座り込むのを飽きて駅ナカの喫茶店でしょっぱいサンドイッチを食べて違う店でしょっぱいパイをたべてそのあとだし専門店でしょっぱい味噌汁をたべて・・・ry要するにわりとそんなに辛くなく時間を待った。(甘いよりしょっぱいものの方がすきでした) 

 僕が覚えているのは新函館北斗行きの車窓 一つ遠くの席では無事にきたにいける喜びを噛み締めた男たちが酒盛りを始める中、その車窓を眺めていたら 月と 異常に平坦で光り輝く地平線を見ていたことである。その水面が何を意味するのかは僕は理解したくはなかった。人の世を簡単にねじ伏せる雨風は僕たちを北から遠ざけて でも僕は盛岡にたどり着くはずだった なぜですか 遠征として。いや、巡礼として。博才を持たない僕の ただの巡礼として。

 

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 結果的に僕とその新幹線が盛岡についたのはよもくれて最終レースも既に終わっていた頃であった。暮れた夜になってのろのろとタクシーを拾ってなんとか宿に着いた。タクシーの運転手さんは「東京から、だって新幹線止まっていたんでしょう。」とねぎらってくれたが、その運転手さんは最後まで僕がなぜ盛岡に来たのか聞かなかった。聞いてほしかったのか?いや、聞かなくても話してしまうのを抑えていたのだ。
 
 これは僕の精神的状態を吐露して話して見るけれど、遠征など畢竟自己満足かもしれないという人がいるならば、ぼくはそれは批判と信じたい、なぜなら遠征というのは巡礼にも似たものであって、僕は敬虔な御神本教徒であるからなのだった、信じているから僕は盛岡にも行くし益田にも行くし夢を見る。まるでそれはただただ圧巻の護衛艦の艦隊をかつてじぶんは信じていて、それはいまでも続いているけれど、今の私は流れる時間の中で御神本さんを見上げているだけだった、否、追っかけて 応援して それはそれで僕は生きている感じがしたのだ、夢みたいに。

 遠征は巡礼にも似ている。信じて信じて信じ抜いた相手の夢を見る宗教に似ている。
凍てついた東京駅のコンクリートを感じて悲しさのように水面に映る月をみて最終的にじゃじゃ麺屋さんで急に渡された卵を見て僕は眠りについた。南部杯のファンファーレはCMでビジネスホテルのテレビから響き渡たり天気予報の背景で杉谷と中田が卓球を楽しんでいた。カバンの中には幕一枚、あとは小さめのカメラと万が一のためのマジックペンとノート、そして明日南部杯の門をくぐる勇気、そうただ勇気と信仰心だけが・・・。

 


 底冷えた街の雰囲気、朝早く起きた僕はのろのろと身支度を終えてバスに向かう。護送されるのはおじちゃんたちと競馬好きの若者で、僕は眠たげにバスに乗った。

 バスは市街地を抜けて森を駆け巡り川の流れが逆流するように渓谷を登って行く。僕はどこに行くのだろうと思った、いやどこに行くわけでもない、ただ盛岡競馬場に行くだけだ。

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 僕は盛岡競馬場についた 南部杯というのもあって、人は並んでいた。

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 荘厳に響くチャグチャグ馬コの鈴の音を耳にして私は背筋を伸ばした。とうとうここまできてしまった。自分とて世間とて最も美しいジョッキー、御神本騎手を追いかけて盛岡まできてしまったのだと。しかしてそれは、夜闇の中南部杯の旗のはためく向こう、岩手のジョッキーさんたちが楽しげに餅を撒いている頃には認識を改めなければなかった。私は盛岡まできてしまったのではない。盛岡に来たのだ。

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 遠征は宗教に似ていると前述した。でもそんなことではないのかもしれない。巡礼はその途中で美味しいものを食べたり なんだか優しいお店の人に出会ったり たのしい思い出があったり そういうものなんじゃないかな そしたらそれは・・・そんなに肩肘はることじゃあないんじゃないかな・・・。

まず僕を迎え入れたのは、ずらーっと色とりどりの、南関ではみたこともない組み合わせの勝負服をきた岩手競馬のジョッキーたちで、その中にはめっちゃかっこいい山本騎手やめっちゃかわいい山本騎手や関本騎手もいた。僕は普通にかっこいい山本騎手がかっこいいのでその方に募金のお礼としてちいさなサイン色紙をもらった。募金はミツマタでできた紙で入れたよ?
 その時点で南部杯はお祭りであった。みな大きな広場でおいしいごはんや汁を食べたり串を食べたりしていた。しかし私はそれに惑わされず?に行かなければならないところがある。幕の申請だった。
 幕の申請は簡単で死にそうな顔をしながら受付のおねいさんに聞けばいい。受付のおねいさんは直接は手を貸してくれないがRPGの案内人のごとく幕の申請する場所に導いてくれるはずである。だいたいものものしい事務所につれてかれて、腰が低いんだかお役所仕事なんだかわからないかもしれないけれど、確実にいい人なおじさんの前で書類を書いて、そして紐をむすぶ(紐を結ぶのが大変なんだよね。

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 そして幕を張って、幸いながらインターネットで交流のある方々や、その日幕のつながりでお話しできた方々と顔を合わせながら きほんゆるゆると競馬場内を回遊して行きていた。
 南関の空も岩手の空も素晴らしい しかして盛岡競馬の空は恐ろしいほどに高い。曇天の空の下 やさしい締め切り前のBGMとともに時間が流れて行く。

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 やきとりは売られ 汁はうまし 乗馬用や写真用のうまさんはのどやかで 関本騎手はそのかわいさをにじませていた。(マサさんはかっこよかった)

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 みんなみんなその土地で競馬を楽しんでいた。声を枯らしたりたわいない会話をしたり笑ったりして競馬を楽しんでいた。僕は客かも知れないけれど孤高にいる必要はありゃあしない。僕だって僕の勝手にここに溶けて、今日はここでたのしみたいんだ。それはたとえばあの焼き鳥とか売っている場所って小屋になっていて、浦和と違って閉鎖してあるけれど それを閉鎖的だってだれもいわないじゃないですか。盛岡は寒いんです。それも南部杯のころには。だから南関も盛岡も違いはあるかも知れないけれど ぼくという矮小な一個人がそこに違いを見つけて感傷に浸れるほど世界は小さくないし優しいんです。

 
 盛岡は巡礼する場所じゃあなくてただ素敵な盛岡だった。

 
 8Rからパドック地蔵をキメる。なぜなら僕の巡礼としての心がのこっていたからである。その時なかのよいひとと喋った時間は、かなりたのしくて ほんとうにたのしかった。
 それでもその南部杯のレース 御神本さんはぶっれぶれで そんなにいい写真は撮れなかったんですよ。だって僕の古い方のカメラで、夜闇の川崎船橋ほどとはいざしらず、陽の落ちたナイターのパドックを撮れた方が三連単的中だ。でもなんとかなんとか撮った。めっちゃ吉原さんの笑顔は撮れた。なんだか僕たちの周りでいろんな話が聞こえる。なんだろう なんなんだろう みんなもうできあがってたり、いっぱいばけんをかっていたりあった おまつりだった おまつり ぼくのかんしょうてきな かんじょうなんか ぶっとばすほどに なんぶはいはおまつりで たのしかった。そして闇夜を切り裂くように サンライズノヴァが吉原騎手を背に一着入線した。

 

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 お祭りは阿鼻叫喚でクライマックスに達し、その後透明な寿司が各自に配れることになった。


 急に思ったのだけれど僕は巡礼じゃなくておまつりにきたのかもしれない 。その証拠に餅はまかれ、じゃじゃめんは生卵つきで、翌日に見た小岩井農場のうまやは本当に可愛かった。

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とにかく盛岡の夜はくろくて

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もち

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もちが(あ

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もちー!

 



 いやーなにいいたいかっていわれれば遠く行くと人間楽しいんですよ そしていくらでも行く前に御託をならべたところで、いってしまえば楽しいし その土地の楽しみ方があるし、何やっても公共の福祉に反しなければゆるゆるなのです。
  

 

 

撒かれるもちが最終的な思い出でもいい それが遠征であり巡礼なのかも知れないから。博才も感性も持たない私と、私の巡礼の盛岡。