さなぎ長文

けいば 妄言

1ようこそ競馬場のイデアへ(東京競馬場)ー僕は鉄火場で虚無をする

いつか、競馬場に行きたかった。
 その方向性を中継を見ていて強めつつ。でも勇気が出ない。
 それはたとえば治安が悪いのでは?とか混みすぎているのでは?ということもあるかもしれない。前者に関しては今になっては府中から富士見に至るまで辟易したことはなく(いや、全く治安が悪くないとは場所によっては言えない。しかしうわーやべー帰ろう ってなったことはない)後者に関してはまあそういう日にはあまり行かないからな・・・・。とにかく勇気が出ない。でもいつかは行きたい!という心を木村カエラのHolidayをぶん流してテンションを上げながら南武線にぶち込んだ。
 

だいたいこの画角でとりあえず撮ることがおおい なんという奥行き感

 
 初めてたどり着いた競馬場。それは府中本町駅から名馬たちの写真に彩られた通路を通って数分後、見上げてその空の広さと芝の広さと場所の広さに圧倒された東京競馬場。レース中らしくアナウンサーの朗々とした声が響き渡っている。そしてなにかが地面を踏みならす音が聞こえる。どこだコースは。ああこの白いさくの向こうか。そして僕はコースの方を見て思わず独り言をこぼしてしまった。
「馬が・・・ 馬が走っている・・・・」
 そう
 走っているのだ。馬が。

そりゃあ競馬場だもの馬は走るよ


 初めて現地に来たのでそれぐらいのマイクロ語彙力は許してほしい。何もかも自分にとって初めてなことだったから何もかもが鮮烈だった。人々はマークシートや新聞を握り、時に罵声をあげ時に喜び、そして時においしそうにご飯を食べ、鳴り響く券売機の音やアナウンスの音に包まれて、まるでショッピングモールのような華美なフロアを行き交って。そして・・・・
 広い
 広すぎる。
 東京競馬場はどこまで歩いても東京競馬場である。

 

ひろいでかい



 そんな感じだから、パドックというものに着くまでも一苦労で、中継なら一瞬でパドックまで切り替わるのに、じっさいはえっさほっさ歩かなければならない。にじむ膝痛、喜ぶ歩数計アプリ。
 パドックで馬を実際に見るのも初めてで、つややかな毛色を持つよく手入れされたサラブレッドたちが、おしごとする厩務員さんに連れられて、かっぽかっぽと歩く様はまるで美しさの回転寿司である。それを見て、みんなが競馬新聞やらに印をつけるのをみるのも面白い。僕はわからない。わからないなりにどの馬がつよいのかなと思ったりする。

 

つややか


どの馬も美しいしかわいいしかっこいい。そんな馬たちが、あるときはいななき、あるときは厩務員さんに甘える(ような仕草を)見せ、あるときはうんこをし、またあるときは前のひとのうんこをふむ(これ踏む馬とよける馬がいるよね 僕が馬なら避けられずに踏みたくなくても踏んでると思う。前のひとのうんこ。)それをぼーっとみている。それがなんだかすごく虚無で、虚無ってこれは僕が使う言葉なんだけれどもなんだかなにもないような何も満ち足りているようなそんな感じのことを僕は虚無って言います。

  

 馬券の話をします。その日は宝塚記念の裏開催の府中であった、調べたところこの週が府中開催の最終週らしい。じゃあ行かなきゃ。そう言うのもあってがんばって勇気を出していったのだ。だから僕がまず先にやったのはヴィヴロスの単勝を買うことだった。だって福永さんが乗ってるしね!!まああのときは馬券の買い方も知らないからほかに応援してる馬も併せてダービーと同じように3頭の単勝500円ずつにしたのだけれど。その一頭がまさかウマ娘になっている。

 

サトノダイヤモンドは引けてません



 
 ジョッキー という人間たちを生で見ることができたのもその日が初めてのことだった。
 当然府中のクソデカパドックから我々たちには距離があるので、その人たちが本当に低身長だというのはわからない。ただみなみな切れたナイフみたいに精悍な顔つきで、色とりどりの勝負服に身を包み、鞭を持っていた。繰り返すけど、みなみな素敵な人だった。横顔も、手綱や鞭を持つ姿も、ジョッキーという人たちは驚くほどに華やかだ。

 そりゃあ限界まで痩せててシュッとしてれば、すべての登場人物はだいたい魅惑的だ。

 その中でもやはり、一番自分が見てかっこよかったのが福永さんだった。もちろん福永さんは阪神にいるから、ビジョンでしか見れなかった。優しそうな目やシュッとした顔と、玄人じみた所作を見るとドキドキした。いつか生で見たいなー と思ったりしていた。その話はおいおい書きます。そしてなぜ”最初に”と言ったかの話もおいおい書きます。

 

あらためてでかい すべてが広大で恐ろしくなるほどだと思う。

 東京競馬場はなにもかも規模が大きくて、何もかもが揃っていて、その大きさに圧倒されつつ、「まず、これが競馬場です」という大きなイデアを私に植え付けてくれました。その後にいろいろな競馬場、いや公営競技場に行って、多様な風景を見るのだけれど、そして完全に沼にはまっていくんだけれど。

 

 

 ~ふれあい~

私が府中で一番好きなスポッツ


 

 付属施設やグルメ 表彰台のことは別件で写真多めにして書くことにします。まず東京競馬場のふれあいやローズガーデンから。ローズガーデンというところはまさに四季折々の花や噴水があってまるで貴族の庭です。映えます。あと乗馬センターというところの外で割と近くで見れる馬ちゃんたちが居て昔はサクセスブロッケンに挨拶してたりしました。
 一定の時間になるとセンターの中で馬ちゃんに触れたりしましたね、あとホースショーとかもあって幸せ無限大です。

  

素敵な光景


ただ注意してくださいここはクソデカ競馬場、いったんこのセンター側に行くとおそらく1レース、滞在時間が長いと2レース分の馬券が買えないと思う・・・そう・・・・。

 

 ~ひょうしょう~

 

ファッサ〜

  府中はウィナーズサークル(ひょうしょう)の場所が結構わかりやすいところにあるしわりとちょくちょくくちとりが行われるのでメットオフのジョッキーさんやうろうろする勝った馬ちゃんが見れます。そりゃあG1レースのときはぎゅうぎゅうですが平場だったらゆるっと見れたはずです。コロナ鍋が終わったらサインとかもわりともらえるんじゃないですかね。でも人混みを押したりするのはだめ絶対!

 

 ~おごはん~

どまあに

 数多のサイトやTwitterでいろんな情報があるので主観的な情報しか乗せませんがさなぎ一押しはドマーニです。ドマーニの普通のスパゲッティです。
 これはまず準備があって、競馬場に行く前日の夜から準備します。要するに夜の時点であまりご飯を食べないでおきます。おかずだけでもいいかもしれません。このとき晩酌を普通通りにすると二日酔いになるのでやめましょう。朝起きましたら朝ご飯を食べないでください。絶対に食べないでください。そして12時ぐらいに府中に着くようにしましょう。たぶんおなかすいてふらふらだと思います。なんとかしてドマーニの前にたどり着いてください。そして実況を薄れる意識の中で聞きながらドマーニにかぶりついてください。ドマーニはボリュームたっぷりで、歩きがんばった全身に炭水化物とチーズが染み渡り・・・勝つでしょ???必勝しちゃうでしょ?

 え・・・?おかしいかな・・・そうかな・・・そうかも・・・・


 なにもかもが新鮮だった東京競馬場。そこから4年。今の私は「これメイン終わったあたりで戻ってバス乗れば多摩川何Rぐらいに間に合うかなー」と思っています。元気です。

かすうどんもいいよね

 
 

0白球と馬券とぬまー僕は鉄火場で虚無をする

すべてのはじまり

もし僕が東京ドームの23番入り口からの巨人対ヤクルトのチケットを買わなかったらば僕はどういう趣味を新たに見つけてどうなってしまったのだろうか。それとも新しい趣味を見つけずにネットゲームや野球観戦をし続けていたのだろうか。それを考えるほどにはあの偶然はきっかけであった。
 最初、500円の内野指定のオープン戦のチケットがあってね、僕たちはヤクルトファンでも巨人ファンでもなかったけど、安いしついでに東京でご飯とかも食べたいし、それ目当てに母親と東京ドームにいったのだ。でも水道橋に着いたときにはそのチケットは売り切れていた。残念。
 だからでもせっかく水道橋に来たんだから、なんかほかのチケットを買って、東京ドームで野球を見ようとほかの席を探した。それがとある席であった、それは23番ゲートだった。繰り返す。23番ゲートだったのだ。

 そのゲートの近くに、緑の看板のあれがあった。場外馬券場、いうならばウィンズだった。
 承前しておくと僕はその前にも何回か競馬に触れることはあった、親に「すごい有名な馬だから見ておきなさい」と言われてなんだったかわからないディープインパクトのレースをテレビで見たり、それこそウマ娘がゲームサービス前に少しずつ宣伝し始めていた頃だったから、おそらくあれがらがきっかけを支える要素でもあったと思う。
 
 僕なにも馬券について知らなくてね、最初はこれが馬券の発券機だって思ってオッズカードを発券してた位だったんですよ。それで何もわからないから受付のお姉さんに聞いて、やっと書けた馬券が、弥生賞のダノンプレミアムとワグネリアン馬連だった。
 
 謎に馬券を買ってですねふかふかの東京ドームの席に座るのです。
 僕は結果をスマートフォンのインターネットから調べて、青木のファンファーレを聞きながらそれを確認する。

「お母さん!当たったよ!当たった!!!」

さあこれがある意味天国と無間地獄の始まりなのです。ビギナーズラックで馬券が当たるってすごくいいですよね。私はそれをできたのでかなり幸運な競馬ファンだといえるかもしれない。そこからですね、是非競馬場に行きたいってなったんですよ。だってその頃の私は何かほかのことを知りたかったからなのです。その先が天国と無間地獄だと知っても。あるいは。

 さてこれが馬券との出会いとしてのウィンズ水道橋のおはなしですが、のちのちここで自分が大変な状態になるのですがそれはまた次の機会に。

 

 じゃあ次の話をしましょう。ウインズ新宿の話です。

 

緑うるわし所沢を背景に


 その日は紛れもなく日本ダービーの日で、でも僕のその日の予定は西武ドームに行って日ハム戦を見るという物だった。だって五月のうららかな日は、数少ない西武ドームで何の苦しさもなく観戦できる頃合いなのだ。そこには暑さや寒さはなく、ドームの隙間から見える緑は青々として、中村剛也がホームランを打つ。

 ドームの話を続けすぎるのもあれなので、そう、埼玉に行く途中に東京はあるわけで、僕はどうやらか調べてウィンズ新宿で馬券を買うことにした。もう馬券の買い方は覚えたぞ。んでじゃあ何買おう、何買おうってなって迷って結局、弥生賞で買ったダノンプレミアムとワグネリアン、そしてなんか馬名がかっこいいと思っていたエポカドーロの単勝、500円ずつを買った。
  
 若干わくわくしながら、西武線に乗る。
 また前回と同じように、レースをリアルタイムで見ることはせず、所沢で曖昧な気持ちで獅子たちを見ながら結果を待っていた。結果は自分で調べるよりさきに親からLINEで伝えられてくる「17番!!17番の馬勝ったよ!!5000円ぐらいになるよ!!」

 ちなみに私はそのときそれどころではなかった。なぜなら
 なぜなら浅村が二塁を踏み忘れ、
 あと浅村が二塁を踏み忘れ、それが結局逆転負けを呼んでしまったからだった。浅村 おまえ浅村 精一杯の呪詛を吐いたが、いまでは呪詛を吐けるだけあの頃はよかったのかもしれない。みちのくの水はおいしいですか浅村。

 

 

試合は負けた

 さて

 そこで私はワグネリアンと言うサラブレッドを心に刻む。そして福永祐一というジョッキーを知るのだ。自分が南関の砂にどっぷりと浸かったりする前は、わー福永さんかっこいい!かっこいい!いつかみたい!と思っていた。そういう心って大事だよね。そういう心を持ち続けた結果、まあ後々、おす人間は違うのかもしれないけれど、とってもやばいことになってしまうのだけれど、さて、推しに心動かされながら、でも最終的にどこでも虚無をする僕の物語は、おそらくここらの球場で始まって、もしかしたらそれらの球場で終わるかもしれない。白球を追いかけた私が白球も追いかけたり、走る人たちを追いかけていく幾星霜。ボールを投げるかトラックを走るか。どちらにしろ僕は虚無をするのだ。僕は鉄火場で虚無をするのだ。

まえがきー僕は鉄火場で虚無をする

 

 

おだやか


  

 

 
 数年前から公営競技の観戦と投票を趣味にして僕はどれだけの思い出を作ったのだろう。幾度の情景と数多のレースを見て聞いて今僕はここに居る。すべてはやがて虚無になり、あと僕は不器用だから虚無を考えることしかできない。
 やがてやがてはすべて終わるんだけれど、すべてのレースは終わり果てて地球さえ滅びていくんだけれど、確かにかつてこの国には星の数ほどの馬や、艇や、自転車や、二輪のレースが行われ、おのおのパルミチュエル方式で決められた払い戻しに則って誰かが損してだれかが得をし、誰かが名誉を受け、誰かが脇役になる。
 僕はそのうちの何万分の一を見れるのだろか。それともここから先何も見えなくなるのであろうか、そして僕は何を得られるのであろうか、何も得ることはできないのか。残念ながら馬券師諸君先生方に申し訳ないがここで記されるのは回収率や払い戻しの話じゃない。僕はどのような情景をこの鉄火場たちから得られるのだろうか。それを考えている。そして今からやりたいことはそれを記述することである。見たことのないものを見たい。そしてみたいをずっと見ていたい。それが僕にとって美しくて、でも不器用だから虚無ってしまうのだ、やがてはもう、何でも。

博才を持たない私と僕の巡礼の盛岡

 

 

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 荘厳に響くチャグチャグ馬コの鈴の音を耳にして私は背筋を伸ばした。とうとうここまできてしまった。自分とて世間とて最も美しいジョッキー、御神本騎手を追いかけて盛岡まできてしまったのだと。しかしてそれは、夜闇の中南部杯の旗のはためく向こう、岩手のジョッキーさんたちが楽しげに餅を撒いている頃には認識を改めなければなかった。私は盛岡まできてしまったのではない。盛岡に来たのだ。

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 マイルチャンピオンシップ 南部杯

 歴史の深いG1レース それに御神本騎手が参戦する それを伝えるツイートは まるで全文がmixiの赤文字のようになって自分を揺り動かした。じゃあ盛岡にいこう 盛岡に行ってしまうしかない。その頃の私は判断力がなかったから宿だけとって、まるであしたにでも破産するような覚悟で新幹線の当日券を待つことになった。そこで我々を襲ったのは、あの台風であった。
 その台風はわたしにとって忘れられない台風になった。実は私は御神本氏の参戦を知る前に決めていた予定があって、フリートウィークという護衛艦の大公開日に赴くことにしていたのだ、故に参戦を聞いて盛岡行きを決めたのち、錚々たる護衛艦を見られないのは残念だなと思っていた 台風はその催事を吹き飛ばした。そして私が乗るはずだった新幹線すらも。

 新幹線が出ない

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(五千円くらいはらいもどしがきた)

 それは大変なことであった。ただ自分は諦めるわけにはいかなかったので東京駅の改札前に座り込み座り込むのを飽きて駅ナカの喫茶店でしょっぱいサンドイッチを食べて違う店でしょっぱいパイをたべてそのあとだし専門店でしょっぱい味噌汁をたべて・・・ry要するにわりとそんなに辛くなく時間を待った。(甘いよりしょっぱいものの方がすきでした) 

 僕が覚えているのは新函館北斗行きの車窓 一つ遠くの席では無事にきたにいける喜びを噛み締めた男たちが酒盛りを始める中、その車窓を眺めていたら 月と 異常に平坦で光り輝く地平線を見ていたことである。その水面が何を意味するのかは僕は理解したくはなかった。人の世を簡単にねじ伏せる雨風は僕たちを北から遠ざけて でも僕は盛岡にたどり着くはずだった なぜですか 遠征として。いや、巡礼として。博才を持たない僕の ただの巡礼として。

 

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 結果的に僕とその新幹線が盛岡についたのはよもくれて最終レースも既に終わっていた頃であった。暮れた夜になってのろのろとタクシーを拾ってなんとか宿に着いた。タクシーの運転手さんは「東京から、だって新幹線止まっていたんでしょう。」とねぎらってくれたが、その運転手さんは最後まで僕がなぜ盛岡に来たのか聞かなかった。聞いてほしかったのか?いや、聞かなくても話してしまうのを抑えていたのだ。
 
 これは僕の精神的状態を吐露して話して見るけれど、遠征など畢竟自己満足かもしれないという人がいるならば、ぼくはそれは批判と信じたい、なぜなら遠征というのは巡礼にも似たものであって、僕は敬虔な御神本教徒であるからなのだった、信じているから僕は盛岡にも行くし益田にも行くし夢を見る。まるでそれはただただ圧巻の護衛艦の艦隊をかつてじぶんは信じていて、それはいまでも続いているけれど、今の私は流れる時間の中で御神本さんを見上げているだけだった、否、追っかけて 応援して それはそれで僕は生きている感じがしたのだ、夢みたいに。

 遠征は巡礼にも似ている。信じて信じて信じ抜いた相手の夢を見る宗教に似ている。
凍てついた東京駅のコンクリートを感じて悲しさのように水面に映る月をみて最終的にじゃじゃ麺屋さんで急に渡された卵を見て僕は眠りについた。南部杯のファンファーレはCMでビジネスホテルのテレビから響き渡たり天気予報の背景で杉谷と中田が卓球を楽しんでいた。カバンの中には幕一枚、あとは小さめのカメラと万が一のためのマジックペンとノート、そして明日南部杯の門をくぐる勇気、そうただ勇気と信仰心だけが・・・。

 


 底冷えた街の雰囲気、朝早く起きた僕はのろのろと身支度を終えてバスに向かう。護送されるのはおじちゃんたちと競馬好きの若者で、僕は眠たげにバスに乗った。

 バスは市街地を抜けて森を駆け巡り川の流れが逆流するように渓谷を登って行く。僕はどこに行くのだろうと思った、いやどこに行くわけでもない、ただ盛岡競馬場に行くだけだ。

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 僕は盛岡競馬場についた 南部杯というのもあって、人は並んでいた。

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 荘厳に響くチャグチャグ馬コの鈴の音を耳にして私は背筋を伸ばした。とうとうここまできてしまった。自分とて世間とて最も美しいジョッキー、御神本騎手を追いかけて盛岡まできてしまったのだと。しかしてそれは、夜闇の中南部杯の旗のはためく向こう、岩手のジョッキーさんたちが楽しげに餅を撒いている頃には認識を改めなければなかった。私は盛岡まできてしまったのではない。盛岡に来たのだ。

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 遠征は宗教に似ていると前述した。でもそんなことではないのかもしれない。巡礼はその途中で美味しいものを食べたり なんだか優しいお店の人に出会ったり たのしい思い出があったり そういうものなんじゃないかな そしたらそれは・・・そんなに肩肘はることじゃあないんじゃないかな・・・。

まず僕を迎え入れたのは、ずらーっと色とりどりの、南関ではみたこともない組み合わせの勝負服をきた岩手競馬のジョッキーたちで、その中にはめっちゃかっこいい山本騎手やめっちゃかわいい山本騎手や関本騎手もいた。僕は普通にかっこいい山本騎手がかっこいいのでその方に募金のお礼としてちいさなサイン色紙をもらった。募金はミツマタでできた紙で入れたよ?
 その時点で南部杯はお祭りであった。みな大きな広場でおいしいごはんや汁を食べたり串を食べたりしていた。しかし私はそれに惑わされず?に行かなければならないところがある。幕の申請だった。
 幕の申請は簡単で死にそうな顔をしながら受付のおねいさんに聞けばいい。受付のおねいさんは直接は手を貸してくれないがRPGの案内人のごとく幕の申請する場所に導いてくれるはずである。だいたいものものしい事務所につれてかれて、腰が低いんだかお役所仕事なんだかわからないかもしれないけれど、確実にいい人なおじさんの前で書類を書いて、そして紐をむすぶ(紐を結ぶのが大変なんだよね。

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 そして幕を張って、幸いながらインターネットで交流のある方々や、その日幕のつながりでお話しできた方々と顔を合わせながら きほんゆるゆると競馬場内を回遊して行きていた。
 南関の空も岩手の空も素晴らしい しかして盛岡競馬の空は恐ろしいほどに高い。曇天の空の下 やさしい締め切り前のBGMとともに時間が流れて行く。

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 やきとりは売られ 汁はうまし 乗馬用や写真用のうまさんはのどやかで 関本騎手はそのかわいさをにじませていた。(マサさんはかっこよかった)

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 みんなみんなその土地で競馬を楽しんでいた。声を枯らしたりたわいない会話をしたり笑ったりして競馬を楽しんでいた。僕は客かも知れないけれど孤高にいる必要はありゃあしない。僕だって僕の勝手にここに溶けて、今日はここでたのしみたいんだ。それはたとえばあの焼き鳥とか売っている場所って小屋になっていて、浦和と違って閉鎖してあるけれど それを閉鎖的だってだれもいわないじゃないですか。盛岡は寒いんです。それも南部杯のころには。だから南関も盛岡も違いはあるかも知れないけれど ぼくという矮小な一個人がそこに違いを見つけて感傷に浸れるほど世界は小さくないし優しいんです。

 
 盛岡は巡礼する場所じゃあなくてただ素敵な盛岡だった。

 
 8Rからパドック地蔵をキメる。なぜなら僕の巡礼としての心がのこっていたからである。その時なかのよいひとと喋った時間は、かなりたのしくて ほんとうにたのしかった。
 それでもその南部杯のレース 御神本さんはぶっれぶれで そんなにいい写真は撮れなかったんですよ。だって僕の古い方のカメラで、夜闇の川崎船橋ほどとはいざしらず、陽の落ちたナイターのパドックを撮れた方が三連単的中だ。でもなんとかなんとか撮った。めっちゃ吉原さんの笑顔は撮れた。なんだか僕たちの周りでいろんな話が聞こえる。なんだろう なんなんだろう みんなもうできあがってたり、いっぱいばけんをかっていたりあった おまつりだった おまつり ぼくのかんしょうてきな かんじょうなんか ぶっとばすほどに なんぶはいはおまつりで たのしかった。そして闇夜を切り裂くように サンライズノヴァが吉原騎手を背に一着入線した。

 

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 お祭りは阿鼻叫喚でクライマックスに達し、その後透明な寿司が各自に配れることになった。


 急に思ったのだけれど僕は巡礼じゃなくておまつりにきたのかもしれない 。その証拠に餅はまかれ、じゃじゃめんは生卵つきで、翌日に見た小岩井農場のうまやは本当に可愛かった。

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とにかく盛岡の夜はくろくて

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もち

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もちが(あ

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もちー!

 



 いやーなにいいたいかっていわれれば遠く行くと人間楽しいんですよ そしていくらでも行く前に御託をならべたところで、いってしまえば楽しいし その土地の楽しみ方があるし、何やっても公共の福祉に反しなければゆるゆるなのです。
  

 

 

撒かれるもちが最終的な思い出でもいい それが遠征であり巡礼なのかも知れないから。博才も感性も持たない私と、私の巡礼の盛岡。

うがい、手洗い、ブラストワンピース

 

 

 誰か馬を応援したいという時はだいたいその馬を一旦擬人化してその様子を妄想して応援してしまうのだから、正当な競馬ファンからはその様子は変な目で見られても当然ではある。結局私は本当に好きなものごとを応援するときは、だいたい自分の中にそのものごとの虚像をつくってそれにはまりこんでしまうかもしれなくて、でも、柵の向こうから声を枯らして応援することを 許してくれるね。
 
 ブラストワンピース はたとえば天真爛漫な青年で食べるのが好きでおおらかでいつも笑っている。微笑んで。なにか辛いことがあっても どうにかなるにぇって笑っているのだ。その姿は大きくも見えるし頼もしくも見える。

 ブラストワンピース の名前を知ったのは平成最後のダービだった。ワグネリアンが器用に蓋をしたその相手がブラストワンピース であった。そりゃあ辛いだろう。そのころはそれぐらいにしか思っていなかった。次に新潟記念で圧勝したのは風の噂とともに聞いた。その頃は、ただ名馬の一人としか思っていなかった。

 有馬記念は普通通りに福永さんの馬を買って(クリンチャー)その時もまだ彼は馬名でしかなかった。しかしある日、彼の名前で検索するとどんどん彼の素顔を知ると錯覚することになる。天真爛漫で大食らい。緑のシャドーロールはなんと視野を調節するためではなく顔が大きく見えてしまうからその矯正のためらしい。なんという愛されキャラなのだ。
 その日からなんとなく私はブラストワンピースが気になり始めていた。数ヶ月経ったダービーデーはどちらかというと目黒記念が本命のレースであった(でもその日わたしは新横浜でサッカーをみていたんだけれどね)目黒記念では斤量に泣いていたけれどそれでも私は新横浜から帰りのラジオ越しになんだか夢を見ていた。

「僕はねえ ごはんがだいすきなんだよう?あとはしるのがすき。なかやまがとくいかな?いけぞえさんとがんばってたけど さいきんはかわださんらしいんだ。 にえ」

 

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(絵だとそんなににえにえいってない

 

 私の頭の中のブラストワンピース はいつだって優しい。もちろん私はシルクのクラブ会員ではないし、ただの一人の競馬ファンでしかないから こんな個人的な妄想から彼を応援するのはとんでもないことなのかもしれない。だからこそこっそり こっそりしたいんだけど。

「ぼくはフランスでおねいさんに片思いしていたんだけれど血がちかかったらしいんだ・・・ フランスでもさんざんだったし でもぼくは走るよ」

 いろんなことを考えて参る夜もあるけど、ブラストワンピースは一時期私の希望の一つであった。しかしてその存在は虚像でしかないのかもしれない。彼は一頭のサラブレッドでありワンピースを着た青年ではないのだ。でも それでも・・・・
 彼のあの、命を燃やして笑みを絶やさい生き方を妄想するだけで、元気になれた夜があったのだ。歩き続けられる昼もあったのだ、それは 今でも

 

     凱旋門11着のちに有馬を使わずにAJCCに向かうニュースは確かに競馬ファンには物足りなかったのかもしれない。
     でも、私にとっては 絶対に行けないであろう有馬(こんでる こわい)よりAJCCに出てくれた方がよかった。
     全部全部個人的な願望だ。でも 書きたい話だ。

 

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 寒空の中で中山に赴いた。中山に行く昼はいつだって吐きそうだ。だって中山にいくほどの用事ってのは大体御神本さんの応援だとかの特別な時だからだ。今日だって特別な日なのだ。私は初めてブラストワンピース に会うのだ。天真爛漫な・・・・いや・・・さなぎは馬の考えていることなどわからないじゃないですか・・・競馬とは何かもわからないで・・・でも・・・ああさっきから逆説しかつかっていない。

 

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(どみそはおいしい

 寒い中山のパドックでずっと待っていたときは。なんだかはなしづてで聞いていた友人の友人で憧れの人を待つ感覚であった。
 9レース、10レースの喧騒を遠耳に聞きながらずっと くるかもしれない、来ないかもしれない腹痛と戦いながら待っている(結局来なかったし杞憂だった)
 私は待っていた。
 そういきなり話が最近の情勢に変わるのだけれど、今はもしかして非常事態なのかもしれないし実際そうなのだろうと思う。そういうとき、家でじっと非常事態が去るのを待ってうがいや手洗いなどをするしかないのだ。そのほかに、自分の心や信念が揺らいだときは、無条件にすきで、素敵な、それはたとえば騎手だったり馬だったり先生だったり厩舎のひとだったり・・・を画面越しに応援することが大切なのかもしれない。
 話を一月の末に戻す。
 私は待っていた、ブラストワンピースを。

 

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 のそのそと中山のパドックに現れたブラストワンピースは 確かにワンピースを着た青年ではなかった。一頭のサラブレッドだった。かたわらの厩舎のひとは寒いのかブラストのお洋服を持っていた。彼はのそのそと歩いていた。首は下げて、なんだか「そんなにきんちょうしてないにえよ」と言っているような感じではあった。

 
「僕はねえ ごはんがだいすきなんだよう?あとはしるのがすき。なかやまがとくいかな?いけぞえさんとがんばってたけど さいきんはかわださんらしいんだ。 にえ」

「ぼくはフランスでおねいさんに片思いしていたんだけれど血がちかかったらしいんだ・・・ フランスでもさんざんだったし でもぼくは走るよ」

「人生 いきていればいいことあるにえ 」

 
 一頭のサラブレッドをただずっと見ていた。

 希望を持つことが大事なのかもしれない。例えばそれが幻想だとしても この時勢ならばきっと希望をもって耐えることが必要だ。たぶん。うがいをして、手洗いをして、心に希望を持っておく。たとえば、ブラストワンピース とか。

 

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 川田騎手が騎乗したとき、ふっと首をあげたブラストワンピース を見てからの記憶はあまりない。ただ私はたぶん競馬をするうえでこれ以後もこれ以前もないほどに最後の直線で叫んだ。ブラストーーーーー!って それは単勝三千円かけたからとかは別の理由で。彼は私の希望だったからだ。重ね重ねだけれど、 希望を持つことが大事なのかもしれない。例えばそれが幻想だとしても この時勢ならばきっと希望をもって耐えることが必要だ。たぶん。うがいをして、手洗いをして、心に希望を持っておく。たとえば、ブラストワンピース とか。

 

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 今私は無観客の大阪杯の観戦を終えてこれを書いています。競馬というのは奇跡のスポーツで、無観客でも開催できるし、ネット越しに馬券を買える。柳の下にどじょうはいなくて今回はお金は帰って来なかったけれど、はしる彼を画面越しで見られただけでわたしは幸せだった。緑のシャドーロール、ほんとうにお似合いですね。またいつか声を上げて応援したい。この世界には、希望を持って生き抜くことがだいじなところまできてしまったけれど、まあ、いまのところの希望を妄想の中で作って生きていっていいよね。虚像でも応援しましょう。生き抜くためには それは生き抜くためには希望が必要なのです。うがい。手洗い。ブラストワンピース 。

 


 次の凱旋門までに収束していたらなあ・・・・。

倶利伽羅峠を超えて

夕闇の倶利伽羅峠を超えて私は金沢に行くのだけれど、なぜ金沢にいくのですかと言われたらそれはおそらく吉原騎手を応援するためで、いや寿司を食べに行くためかな、それともあの雲に覆われてもなにか朗らかな日本海の街に行くためなのかなと思いながら目を閉じた。

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 「さなぎさんの2番目に好きな騎手を教えてください」と言われた場合、私はずっと悩むのだと思う。悩んで悩んで悩みきって最終的にこう言うのだと思う。「地方と中央分けてください」と。そのくらい福永さんと吉原さんどっちが2着なんだろうとおもったのだけれどまあそれはあとでいいです。
 吉原さんはいつも寿司職人みたいな感じの雰囲気を湛えていた。寿司職人である。どちらかというと高級な銀座のお寿司屋さんじゃなくて、でも銀座のお寿司屋さんを遥かに凌駕するくらいの美味しい漁港の商店街のお寿司やさんだといい。そのイメージは金沢競馬に寿司があるからだけではといわれたらそうなのだけれど、冬季限定騎乗の吉原騎手を見てその出自を調べた時、やはり金沢競馬という寿司が それも地の寿司が格安で食べられながらも競馬が見られる魅惑の場所に惹かれざるを得なかったのだ。
 そうそう御神本さんが都心の美術館に飾られている芸術作品だとしたら吉原さんは漁港の商店街の寿司職人なのである。何も現実が見えていない。話を金沢競馬にもどすと、金沢競馬もネット中継で見られるのだけど。大井と違ってずいぶんのんびりした競馬場だなあと思っていた。掲示板は手書きだし、なにより内馬場もあって広いし、日本海のそばにある。

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 お寿司を食べながら吉原さんを見よう

 思い立ったのは早かったのだけれど、自分は旅をするのに二つの都市を訪れるのが好きだからその前には富山に寄っていた。

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(砺波はチューリップがなくても水車がすごい


 その日の富山は晴れ渡って居た。でも私は風の噂で聞いて居た。北陸はだいたい雲に覆われて雨や雪がしたたることもおおい。関東で見るならばくもりがちな空においてもそれは晴れと言われるくらいなのだ と。 だから私は恵まれているのかもしれないがこれは金沢競馬に行く日以外の話であった。

 そして倶利伽羅峠にもどるのだけれど。
 富山から金沢に至る道。田園風景を抜けてまるで世界ごと夕闇に暮れてしまったのかと思うようなくらいくらい倶利伽羅峠を車窓から見て、その風景を頭に焼き付けて居た。写真をとるのは忘れてしまった。でも不思議な感覚は忘れはしないだろう。都市と都市の間にありおしだまるひとつの峠は、私に何も言わないで視界から過ぎ去ってしまい、知らないうちに私は大きな大きな鼓門を見て居た。金沢についたのだ。

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 お寿司を食べながら吉原さんを見よう

 吉原さんは日本を飛び回るジョッキーである。岩手で重賞があれば新幹線にのり、佐賀で重賞があれば飛行機にのり、南関で重賞があれば普通に来られる。だから金沢遠征をしたところで吉原さんを見られるわけではない(でも金沢競馬全体が好きというのもあったからどちらでも大丈夫は大丈夫だった)けれどその日はちゃんと吉原さんは騎乗予定があった。よし。金沢競馬に行こう。

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 金沢競馬への道はそんなに難しくなかった。ただただファンバスにのれさえすればいい。ファンバスの中はさすがに博徒でいっぱいで、早くも今日の船橋の重賞であるかしわ記念の話までしているおじいちゃんもいた。おじいちゃんは「大井の森がさ」と言っていましたが森さんは船橋ですあしからず。そんなおじいちゃんの一人に「お嬢ちゃん馬をみるのは初めてかい?」といわれたこともあったけれど、正直に答えてしまった「普段は南関で、今日は旅打ちです」

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金沢競馬は ただぼやっとのどやかに存在して居た。
 小さなパドック、ビルの屋上からはためく横断幕。潟から吹く風、博徒の、ちょっとこわいけど、訛りも含んだ優しいささえ含まれる語り方。
 それに包まれながら、沖さんだとか、柴田さんだとか、それこそ吉原さんだとか、金沢で名前は知っている騎手さんたちが現れる。手書きの掲示板。一匹だけの誘導馬。牧歌的とも言えるまでにのんびりしたパドック解説の声。
 北陸は曇りの空と倶利伽羅峠の間にある。

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 身を切る切なさもなく、心臓をえぐる躍動感も息を潜め、それで完成する最大限の安心感が金沢競馬にあったのだ。それはまるで故郷のない人間に故郷を与えるかのような塩梅で、私にのんびりとした競馬を見せてくれて居た。オッズの塩梅も、配当金も私にはわからない。ただ私がわかるのはそこにいる方々が全員、ホースマンもトラックマンもそこに働いている方々も全て、のんびりと、ただまじめに、わいわいと。競馬をやっている姿だ。

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 でも 倶利伽羅峠を挟んだ北陸には雨が降る。

 金沢玉寿司のあまみのある白身魚を食べながら吉原さんのパドックの輪乗りを撮ろうと思って居た私の試みは、篠突く雨にあえなく阻まれた。仕方がなく畳敷きの自由席に移動して寿司を食べながら吉原さんを見て私は確信した。私は 北陸が好きだな と。

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 それはおそらく その後日快晴の偕楽園やタレルの部屋を見られて増強された郷愁かもしれないし、寿司のうまさに耽溺した結果なのかもしれない。でも私は あの やけに白い金沢の曇り空と、広い金沢競馬場の、古風でさっぱりした設備と走り切るジョッキーや馬たちに思ってしまったのだ。私は北陸が好きなんだなと。そしてほくりくのおいしいすしがすきなんだなと。持った寿司よりはるかに小さな大きさで遠く走る吉原さんとサラブレッドを見て僕はこころのなかで呟いたのだ。

「ほくりくの、おいしい、すしだよ・・・・・」

 

 後日、この文言を冠レースの名前につけ、見事に現地観戦できなかった話はとてもあとに話すことにする。なお、無観客競馬が解除された暁には、年内でも第二回ほくりくのおいしいすしだよ杯を敢行する、よていである。

 

夕闇に吹け 菱柄の北風

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夜と昼の境目は大井競馬場に落ちている。すべての色彩が感応し合い、そしては青い暗さに満たされていくのだ。

 

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 その夕闇の中で、はにかんで、いろんな表情をして、それで快活にしゃべって、けらけらして、ああ、御神本さんが出ないレースは、この人を撮ればいいんだと思っていたジョッキーが居た。

 私が競馬にはまりはじめたとき、というのも競馬新聞をみてうんうん唸り始めたときではなく、たとえばパドックを周回するサラブレッドや、輪乗りの時のジョッキーに長いレンズを(その時偶然パークのダンサーを追うのをやめた妹にカメラをレンズ付きで譲ってもらったのだ、その対価としていくばくかのitune Cardをおわたしし、その貨幣は無事に妹のスマホの中で宝具2の始皇帝になった)向け始めた時の話だけれど、それは秋が深まる大井競馬のころであった。当然その時私は重賞に出かける体力はなく、平場をのそのそ撮り、入場料と自分が決めた額を御神本騎手の応援馬券に分配していたりした。
 
 御神本さんは そう毎レースのるわけではない、でも私にはそれがちょうど良かったかもしれない。現にたとえば府中で9レースほど福永さんが乗る場合、私はいつご飯を食べればいいのだろうか。決め打ちされたクライマックスのような御神本騎手の騎乗を待つのは、ある種のたのしみをつくりつつ、私に余裕をもたらしてくれた。

 御神本さんが出なければ誰を撮ればいいのですか?

 私は晩秋の中、あまりにもぎらぎら光る菱柄の勝負服にピントを合わせて居た。
 彼はだいたい喋って居た、挨拶の時は隣の騎手と、輪乗りのときは厩舎員さんと、返しのときは近くの騎手と、もしかして馬とも喋って居たのかもしれない。喋らない時はくしゃみするか咳き込んで居た。まるでその細い体に風邪を、いや風を封印しているかのようにすべてが辛そうで全てが生き生きして居た。私はカメラを構えて何枚か取って、ファインダー越しに彼自身が菱柄の風のように過ぎ去っていくのをただただ見て居た。例えれば彼はドラスティックな夕闇の中に吹きすさぶ一陣の風であり非常ないみじい生命であったのだ。

 彼の名は、瀧川寿希也と言った。

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 喘息持ちの若者が怪気炎を上げて鞍上にいたのだ。美しく鞍上に存在する御神本さんを夜の日本海と例えるならば、彼はせわしなく吹きすさぶ工場地帯の北風であった。でもずっと咳き込んでいた。咳き込んでくしゃみして、わらってかしゃかしゃ乗って、アークヴィグラスはローレル賞を一位で勝ってにこにこしていた。わたしはホウショウレイル を応援してたんだよ?そのときは周りに誰も競馬ファンはいなかったし、部屋の隅っこでレース結果を見るしかなかったんだけれどね。

 騎手の評価はいろいろあるし、彼に否定的な意見は現役時代からわんさかでていた。それを見てわたしは「それもそうだよねえ」と思ったりしていた。でもなんだか あの切れた肥後守のような、ラディカルな曲線を描く笑顔や、それこそ冬の風にあてられたりんごみたいなほっぺを否定しろと言ったら、私はジョッキーの外見をほめるのがだいすきだから(それは第一に御神本さんの美しい日本海のような顔立ちと瞳とか、中央の芝を全て集めたような優しい福永さんの目線とか、金沢の白身魚のあまみみたいな素敵な吉原さんのスマイルとか・・・)
 そんなことはできない 情緒的な外見をもつジョッキーを否定はできなかったのだ。

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 正月と平日の境目を川崎競馬で見つけたら案の定ぺちゃくちゃしゃべるジョッキーさんはにへらとしながら乗っていた。風邪引かないといいなあと案じていたらインフルエンザに3回かかっていた。ありがとう瀧川さん。あなたを例に出して患者さんにうがい手洗いの必要性を説けています。とりあえずいろいろあるけれど、ずっと若手の一人として乗ってくれているのかとおもっていた。クイーンカップにアークヴィグラス女史と出るとききなぜかお腹を壊しながら府中に馳せ参じて(これは福永さんがでるからです)気温3度でカメラを構えていたりした、中央の重賞でもおんなじような表情をしてしゃべりたそうな顔をしていた。ちなみに払い戻しは12Rに勝利した福永騎手のサインでした。やったぜ。

 彼は

 彼は急に出馬表から名を消した。誰もが当然と言うネットの風を見ながら、私だって了解できるところは多かったのだけれど なぜかそれはビジュアル的には虚無を覚えていたのだ。

 それは そのあとはまあみなさんの意見の通りです。私だっていろいろ言いたいことはありますし、いまとての状況を私に語れと言われたら それは それは私は馬券としては超初心者、何も言えません。お金が関わることですし 

 でもなんだか これはわたしはまったく正義ないけんじゃないけど、擁護だとか思われてもあれだけれど、袋叩きにすることはないじゃないと思うのであって、でもわたしはこういう文面でいうしかなくて、じゃあなんでそんなことをいうかというと。一般には発生しない事象ですが、感情と書き込みが爆発していろいろなほうこうにいくのはまあよくあることなんです。たぶん。言語と非言語の間には衒学的な緩衝ががあるかもしれないしないかもしれないのです。ここでいえるのはそれまでです それよりも言いたいのは

 あの菱柄がまたダートで、落ち着いた北風になって見られたらなあって 思ってしまうのです。父親にもなられたそうですね。

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 お風邪はひかないようにしてください。「お風邪はひかないようにしてください」・・・わたしはいみじい一介の競馬ファンですゆえ、全てのジョッキーと、ジョッキーだった方々にこの言葉に送りつつ、この文を終わらせていただきます。