さなぎ長文

けいば 妄言

博才を持たない私と僕の巡礼の盛岡

 

 

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 荘厳に響くチャグチャグ馬コの鈴の音を耳にして私は背筋を伸ばした。とうとうここまできてしまった。自分とて世間とて最も美しいジョッキー、御神本騎手を追いかけて盛岡まできてしまったのだと。しかしてそれは、夜闇の中南部杯の旗のはためく向こう、岩手のジョッキーさんたちが楽しげに餅を撒いている頃には認識を改めなければなかった。私は盛岡まできてしまったのではない。盛岡に来たのだ。

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 マイルチャンピオンシップ 南部杯

 歴史の深いG1レース それに御神本騎手が参戦する それを伝えるツイートは まるで全文がmixiの赤文字のようになって自分を揺り動かした。じゃあ盛岡にいこう 盛岡に行ってしまうしかない。その頃の私は判断力がなかったから宿だけとって、まるであしたにでも破産するような覚悟で新幹線の当日券を待つことになった。そこで我々を襲ったのは、あの台風であった。
 その台風はわたしにとって忘れられない台風になった。実は私は御神本氏の参戦を知る前に決めていた予定があって、フリートウィークという護衛艦の大公開日に赴くことにしていたのだ、故に参戦を聞いて盛岡行きを決めたのち、錚々たる護衛艦を見られないのは残念だなと思っていた 台風はその催事を吹き飛ばした。そして私が乗るはずだった新幹線すらも。

 新幹線が出ない

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(五千円くらいはらいもどしがきた)

 それは大変なことであった。ただ自分は諦めるわけにはいかなかったので東京駅の改札前に座り込み座り込むのを飽きて駅ナカの喫茶店でしょっぱいサンドイッチを食べて違う店でしょっぱいパイをたべてそのあとだし専門店でしょっぱい味噌汁をたべて・・・ry要するにわりとそんなに辛くなく時間を待った。(甘いよりしょっぱいものの方がすきでした) 

 僕が覚えているのは新函館北斗行きの車窓 一つ遠くの席では無事にきたにいける喜びを噛み締めた男たちが酒盛りを始める中、その車窓を眺めていたら 月と 異常に平坦で光り輝く地平線を見ていたことである。その水面が何を意味するのかは僕は理解したくはなかった。人の世を簡単にねじ伏せる雨風は僕たちを北から遠ざけて でも僕は盛岡にたどり着くはずだった なぜですか 遠征として。いや、巡礼として。博才を持たない僕の ただの巡礼として。

 

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 結果的に僕とその新幹線が盛岡についたのはよもくれて最終レースも既に終わっていた頃であった。暮れた夜になってのろのろとタクシーを拾ってなんとか宿に着いた。タクシーの運転手さんは「東京から、だって新幹線止まっていたんでしょう。」とねぎらってくれたが、その運転手さんは最後まで僕がなぜ盛岡に来たのか聞かなかった。聞いてほしかったのか?いや、聞かなくても話してしまうのを抑えていたのだ。
 
 これは僕の精神的状態を吐露して話して見るけれど、遠征など畢竟自己満足かもしれないという人がいるならば、ぼくはそれは批判と信じたい、なぜなら遠征というのは巡礼にも似たものであって、僕は敬虔な御神本教徒であるからなのだった、信じているから僕は盛岡にも行くし益田にも行くし夢を見る。まるでそれはただただ圧巻の護衛艦の艦隊をかつてじぶんは信じていて、それはいまでも続いているけれど、今の私は流れる時間の中で御神本さんを見上げているだけだった、否、追っかけて 応援して それはそれで僕は生きている感じがしたのだ、夢みたいに。

 遠征は巡礼にも似ている。信じて信じて信じ抜いた相手の夢を見る宗教に似ている。
凍てついた東京駅のコンクリートを感じて悲しさのように水面に映る月をみて最終的にじゃじゃ麺屋さんで急に渡された卵を見て僕は眠りについた。南部杯のファンファーレはCMでビジネスホテルのテレビから響き渡たり天気予報の背景で杉谷と中田が卓球を楽しんでいた。カバンの中には幕一枚、あとは小さめのカメラと万が一のためのマジックペンとノート、そして明日南部杯の門をくぐる勇気、そうただ勇気と信仰心だけが・・・。

 


 底冷えた街の雰囲気、朝早く起きた僕はのろのろと身支度を終えてバスに向かう。護送されるのはおじちゃんたちと競馬好きの若者で、僕は眠たげにバスに乗った。

 バスは市街地を抜けて森を駆け巡り川の流れが逆流するように渓谷を登って行く。僕はどこに行くのだろうと思った、いやどこに行くわけでもない、ただ盛岡競馬場に行くだけだ。

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 僕は盛岡競馬場についた 南部杯というのもあって、人は並んでいた。

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 荘厳に響くチャグチャグ馬コの鈴の音を耳にして私は背筋を伸ばした。とうとうここまできてしまった。自分とて世間とて最も美しいジョッキー、御神本騎手を追いかけて盛岡まできてしまったのだと。しかしてそれは、夜闇の中南部杯の旗のはためく向こう、岩手のジョッキーさんたちが楽しげに餅を撒いている頃には認識を改めなければなかった。私は盛岡まできてしまったのではない。盛岡に来たのだ。

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 遠征は宗教に似ていると前述した。でもそんなことではないのかもしれない。巡礼はその途中で美味しいものを食べたり なんだか優しいお店の人に出会ったり たのしい思い出があったり そういうものなんじゃないかな そしたらそれは・・・そんなに肩肘はることじゃあないんじゃないかな・・・。

まず僕を迎え入れたのは、ずらーっと色とりどりの、南関ではみたこともない組み合わせの勝負服をきた岩手競馬のジョッキーたちで、その中にはめっちゃかっこいい山本騎手やめっちゃかわいい山本騎手や関本騎手もいた。僕は普通にかっこいい山本騎手がかっこいいのでその方に募金のお礼としてちいさなサイン色紙をもらった。募金はミツマタでできた紙で入れたよ?
 その時点で南部杯はお祭りであった。みな大きな広場でおいしいごはんや汁を食べたり串を食べたりしていた。しかし私はそれに惑わされず?に行かなければならないところがある。幕の申請だった。
 幕の申請は簡単で死にそうな顔をしながら受付のおねいさんに聞けばいい。受付のおねいさんは直接は手を貸してくれないがRPGの案内人のごとく幕の申請する場所に導いてくれるはずである。だいたいものものしい事務所につれてかれて、腰が低いんだかお役所仕事なんだかわからないかもしれないけれど、確実にいい人なおじさんの前で書類を書いて、そして紐をむすぶ(紐を結ぶのが大変なんだよね。

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 そして幕を張って、幸いながらインターネットで交流のある方々や、その日幕のつながりでお話しできた方々と顔を合わせながら きほんゆるゆると競馬場内を回遊して行きていた。
 南関の空も岩手の空も素晴らしい しかして盛岡競馬の空は恐ろしいほどに高い。曇天の空の下 やさしい締め切り前のBGMとともに時間が流れて行く。

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 やきとりは売られ 汁はうまし 乗馬用や写真用のうまさんはのどやかで 関本騎手はそのかわいさをにじませていた。(マサさんはかっこよかった)

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 みんなみんなその土地で競馬を楽しんでいた。声を枯らしたりたわいない会話をしたり笑ったりして競馬を楽しんでいた。僕は客かも知れないけれど孤高にいる必要はありゃあしない。僕だって僕の勝手にここに溶けて、今日はここでたのしみたいんだ。それはたとえばあの焼き鳥とか売っている場所って小屋になっていて、浦和と違って閉鎖してあるけれど それを閉鎖的だってだれもいわないじゃないですか。盛岡は寒いんです。それも南部杯のころには。だから南関も盛岡も違いはあるかも知れないけれど ぼくという矮小な一個人がそこに違いを見つけて感傷に浸れるほど世界は小さくないし優しいんです。

 
 盛岡は巡礼する場所じゃあなくてただ素敵な盛岡だった。

 
 8Rからパドック地蔵をキメる。なぜなら僕の巡礼としての心がのこっていたからである。その時なかのよいひとと喋った時間は、かなりたのしくて ほんとうにたのしかった。
 それでもその南部杯のレース 御神本さんはぶっれぶれで そんなにいい写真は撮れなかったんですよ。だって僕の古い方のカメラで、夜闇の川崎船橋ほどとはいざしらず、陽の落ちたナイターのパドックを撮れた方が三連単的中だ。でもなんとかなんとか撮った。めっちゃ吉原さんの笑顔は撮れた。なんだか僕たちの周りでいろんな話が聞こえる。なんだろう なんなんだろう みんなもうできあがってたり、いっぱいばけんをかっていたりあった おまつりだった おまつり ぼくのかんしょうてきな かんじょうなんか ぶっとばすほどに なんぶはいはおまつりで たのしかった。そして闇夜を切り裂くように サンライズノヴァが吉原騎手を背に一着入線した。

 

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 お祭りは阿鼻叫喚でクライマックスに達し、その後透明な寿司が各自に配れることになった。


 急に思ったのだけれど僕は巡礼じゃなくておまつりにきたのかもしれない 。その証拠に餅はまかれ、じゃじゃめんは生卵つきで、翌日に見た小岩井農場のうまやは本当に可愛かった。

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とにかく盛岡の夜はくろくて

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もち

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もちが(あ

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もちー!

 



 いやーなにいいたいかっていわれれば遠く行くと人間楽しいんですよ そしていくらでも行く前に御託をならべたところで、いってしまえば楽しいし その土地の楽しみ方があるし、何やっても公共の福祉に反しなければゆるゆるなのです。
  

 

 

撒かれるもちが最終的な思い出でもいい それが遠征であり巡礼なのかも知れないから。博才も感性も持たない私と、私の巡礼の盛岡。

うがい、手洗い、ブラストワンピース

 

 

 誰か馬を応援したいという時はだいたいその馬を一旦擬人化してその様子を妄想して応援してしまうのだから、正当な競馬ファンからはその様子は変な目で見られても当然ではある。結局私は本当に好きなものごとを応援するときは、だいたい自分の中にそのものごとの虚像をつくってそれにはまりこんでしまうかもしれなくて、でも、柵の向こうから声を枯らして応援することを 許してくれるね。
 
 ブラストワンピース はたとえば天真爛漫な青年で食べるのが好きでおおらかでいつも笑っている。微笑んで。なにか辛いことがあっても どうにかなるにぇって笑っているのだ。その姿は大きくも見えるし頼もしくも見える。

 ブラストワンピース の名前を知ったのは平成最後のダービだった。ワグネリアンが器用に蓋をしたその相手がブラストワンピース であった。そりゃあ辛いだろう。そのころはそれぐらいにしか思っていなかった。次に新潟記念で圧勝したのは風の噂とともに聞いた。その頃は、ただ名馬の一人としか思っていなかった。

 有馬記念は普通通りに福永さんの馬を買って(クリンチャー)その時もまだ彼は馬名でしかなかった。しかしある日、彼の名前で検索するとどんどん彼の素顔を知ると錯覚することになる。天真爛漫で大食らい。緑のシャドーロールはなんと視野を調節するためではなく顔が大きく見えてしまうからその矯正のためらしい。なんという愛されキャラなのだ。
 その日からなんとなく私はブラストワンピースが気になり始めていた。数ヶ月経ったダービーデーはどちらかというと目黒記念が本命のレースであった(でもその日わたしは新横浜でサッカーをみていたんだけれどね)目黒記念では斤量に泣いていたけれどそれでも私は新横浜から帰りのラジオ越しになんだか夢を見ていた。

「僕はねえ ごはんがだいすきなんだよう?あとはしるのがすき。なかやまがとくいかな?いけぞえさんとがんばってたけど さいきんはかわださんらしいんだ。 にえ」

 

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(絵だとそんなににえにえいってない

 

 私の頭の中のブラストワンピース はいつだって優しい。もちろん私はシルクのクラブ会員ではないし、ただの一人の競馬ファンでしかないから こんな個人的な妄想から彼を応援するのはとんでもないことなのかもしれない。だからこそこっそり こっそりしたいんだけど。

「ぼくはフランスでおねいさんに片思いしていたんだけれど血がちかかったらしいんだ・・・ フランスでもさんざんだったし でもぼくは走るよ」

 いろんなことを考えて参る夜もあるけど、ブラストワンピースは一時期私の希望の一つであった。しかしてその存在は虚像でしかないのかもしれない。彼は一頭のサラブレッドでありワンピースを着た青年ではないのだ。でも それでも・・・・
 彼のあの、命を燃やして笑みを絶やさい生き方を妄想するだけで、元気になれた夜があったのだ。歩き続けられる昼もあったのだ、それは 今でも

 

     凱旋門11着のちに有馬を使わずにAJCCに向かうニュースは確かに競馬ファンには物足りなかったのかもしれない。
     でも、私にとっては 絶対に行けないであろう有馬(こんでる こわい)よりAJCCに出てくれた方がよかった。
     全部全部個人的な願望だ。でも 書きたい話だ。

 

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 寒空の中で中山に赴いた。中山に行く昼はいつだって吐きそうだ。だって中山にいくほどの用事ってのは大体御神本さんの応援だとかの特別な時だからだ。今日だって特別な日なのだ。私は初めてブラストワンピース に会うのだ。天真爛漫な・・・・いや・・・さなぎは馬の考えていることなどわからないじゃないですか・・・競馬とは何かもわからないで・・・でも・・・ああさっきから逆説しかつかっていない。

 

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(どみそはおいしい

 寒い中山のパドックでずっと待っていたときは。なんだかはなしづてで聞いていた友人の友人で憧れの人を待つ感覚であった。
 9レース、10レースの喧騒を遠耳に聞きながらずっと くるかもしれない、来ないかもしれない腹痛と戦いながら待っている(結局来なかったし杞憂だった)
 私は待っていた。
 そういきなり話が最近の情勢に変わるのだけれど、今はもしかして非常事態なのかもしれないし実際そうなのだろうと思う。そういうとき、家でじっと非常事態が去るのを待ってうがいや手洗いなどをするしかないのだ。そのほかに、自分の心や信念が揺らいだときは、無条件にすきで、素敵な、それはたとえば騎手だったり馬だったり先生だったり厩舎のひとだったり・・・を画面越しに応援することが大切なのかもしれない。
 話を一月の末に戻す。
 私は待っていた、ブラストワンピースを。

 

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 のそのそと中山のパドックに現れたブラストワンピースは 確かにワンピースを着た青年ではなかった。一頭のサラブレッドだった。かたわらの厩舎のひとは寒いのかブラストのお洋服を持っていた。彼はのそのそと歩いていた。首は下げて、なんだか「そんなにきんちょうしてないにえよ」と言っているような感じではあった。

 
「僕はねえ ごはんがだいすきなんだよう?あとはしるのがすき。なかやまがとくいかな?いけぞえさんとがんばってたけど さいきんはかわださんらしいんだ。 にえ」

「ぼくはフランスでおねいさんに片思いしていたんだけれど血がちかかったらしいんだ・・・ フランスでもさんざんだったし でもぼくは走るよ」

「人生 いきていればいいことあるにえ 」

 
 一頭のサラブレッドをただずっと見ていた。

 希望を持つことが大事なのかもしれない。例えばそれが幻想だとしても この時勢ならばきっと希望をもって耐えることが必要だ。たぶん。うがいをして、手洗いをして、心に希望を持っておく。たとえば、ブラストワンピース とか。

 

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 川田騎手が騎乗したとき、ふっと首をあげたブラストワンピース を見てからの記憶はあまりない。ただ私はたぶん競馬をするうえでこれ以後もこれ以前もないほどに最後の直線で叫んだ。ブラストーーーーー!って それは単勝三千円かけたからとかは別の理由で。彼は私の希望だったからだ。重ね重ねだけれど、 希望を持つことが大事なのかもしれない。例えばそれが幻想だとしても この時勢ならばきっと希望をもって耐えることが必要だ。たぶん。うがいをして、手洗いをして、心に希望を持っておく。たとえば、ブラストワンピース とか。

 

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 今私は無観客の大阪杯の観戦を終えてこれを書いています。競馬というのは奇跡のスポーツで、無観客でも開催できるし、ネット越しに馬券を買える。柳の下にどじょうはいなくて今回はお金は帰って来なかったけれど、はしる彼を画面越しで見られただけでわたしは幸せだった。緑のシャドーロール、ほんとうにお似合いですね。またいつか声を上げて応援したい。この世界には、希望を持って生き抜くことがだいじなところまできてしまったけれど、まあ、いまのところの希望を妄想の中で作って生きていっていいよね。虚像でも応援しましょう。生き抜くためには それは生き抜くためには希望が必要なのです。うがい。手洗い。ブラストワンピース 。

 


 次の凱旋門までに収束していたらなあ・・・・。

倶利伽羅峠を超えて

夕闇の倶利伽羅峠を超えて私は金沢に行くのだけれど、なぜ金沢にいくのですかと言われたらそれはおそらく吉原騎手を応援するためで、いや寿司を食べに行くためかな、それともあの雲に覆われてもなにか朗らかな日本海の街に行くためなのかなと思いながら目を閉じた。

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 「さなぎさんの2番目に好きな騎手を教えてください」と言われた場合、私はずっと悩むのだと思う。悩んで悩んで悩みきって最終的にこう言うのだと思う。「地方と中央分けてください」と。そのくらい福永さんと吉原さんどっちが2着なんだろうとおもったのだけれどまあそれはあとでいいです。
 吉原さんはいつも寿司職人みたいな感じの雰囲気を湛えていた。寿司職人である。どちらかというと高級な銀座のお寿司屋さんじゃなくて、でも銀座のお寿司屋さんを遥かに凌駕するくらいの美味しい漁港の商店街のお寿司やさんだといい。そのイメージは金沢競馬に寿司があるからだけではといわれたらそうなのだけれど、冬季限定騎乗の吉原騎手を見てその出自を調べた時、やはり金沢競馬という寿司が それも地の寿司が格安で食べられながらも競馬が見られる魅惑の場所に惹かれざるを得なかったのだ。
 そうそう御神本さんが都心の美術館に飾られている芸術作品だとしたら吉原さんは漁港の商店街の寿司職人なのである。何も現実が見えていない。話を金沢競馬にもどすと、金沢競馬もネット中継で見られるのだけど。大井と違ってずいぶんのんびりした競馬場だなあと思っていた。掲示板は手書きだし、なにより内馬場もあって広いし、日本海のそばにある。

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 お寿司を食べながら吉原さんを見よう

 思い立ったのは早かったのだけれど、自分は旅をするのに二つの都市を訪れるのが好きだからその前には富山に寄っていた。

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(砺波はチューリップがなくても水車がすごい


 その日の富山は晴れ渡って居た。でも私は風の噂で聞いて居た。北陸はだいたい雲に覆われて雨や雪がしたたることもおおい。関東で見るならばくもりがちな空においてもそれは晴れと言われるくらいなのだ と。 だから私は恵まれているのかもしれないがこれは金沢競馬に行く日以外の話であった。

 そして倶利伽羅峠にもどるのだけれど。
 富山から金沢に至る道。田園風景を抜けてまるで世界ごと夕闇に暮れてしまったのかと思うようなくらいくらい倶利伽羅峠を車窓から見て、その風景を頭に焼き付けて居た。写真をとるのは忘れてしまった。でも不思議な感覚は忘れはしないだろう。都市と都市の間にありおしだまるひとつの峠は、私に何も言わないで視界から過ぎ去ってしまい、知らないうちに私は大きな大きな鼓門を見て居た。金沢についたのだ。

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 お寿司を食べながら吉原さんを見よう

 吉原さんは日本を飛び回るジョッキーである。岩手で重賞があれば新幹線にのり、佐賀で重賞があれば飛行機にのり、南関で重賞があれば普通に来られる。だから金沢遠征をしたところで吉原さんを見られるわけではない(でも金沢競馬全体が好きというのもあったからどちらでも大丈夫は大丈夫だった)けれどその日はちゃんと吉原さんは騎乗予定があった。よし。金沢競馬に行こう。

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 金沢競馬への道はそんなに難しくなかった。ただただファンバスにのれさえすればいい。ファンバスの中はさすがに博徒でいっぱいで、早くも今日の船橋の重賞であるかしわ記念の話までしているおじいちゃんもいた。おじいちゃんは「大井の森がさ」と言っていましたが森さんは船橋ですあしからず。そんなおじいちゃんの一人に「お嬢ちゃん馬をみるのは初めてかい?」といわれたこともあったけれど、正直に答えてしまった「普段は南関で、今日は旅打ちです」

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金沢競馬は ただぼやっとのどやかに存在して居た。
 小さなパドック、ビルの屋上からはためく横断幕。潟から吹く風、博徒の、ちょっとこわいけど、訛りも含んだ優しいささえ含まれる語り方。
 それに包まれながら、沖さんだとか、柴田さんだとか、それこそ吉原さんだとか、金沢で名前は知っている騎手さんたちが現れる。手書きの掲示板。一匹だけの誘導馬。牧歌的とも言えるまでにのんびりしたパドック解説の声。
 北陸は曇りの空と倶利伽羅峠の間にある。

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 身を切る切なさもなく、心臓をえぐる躍動感も息を潜め、それで完成する最大限の安心感が金沢競馬にあったのだ。それはまるで故郷のない人間に故郷を与えるかのような塩梅で、私にのんびりとした競馬を見せてくれて居た。オッズの塩梅も、配当金も私にはわからない。ただ私がわかるのはそこにいる方々が全員、ホースマンもトラックマンもそこに働いている方々も全て、のんびりと、ただまじめに、わいわいと。競馬をやっている姿だ。

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 でも 倶利伽羅峠を挟んだ北陸には雨が降る。

 金沢玉寿司のあまみのある白身魚を食べながら吉原さんのパドックの輪乗りを撮ろうと思って居た私の試みは、篠突く雨にあえなく阻まれた。仕方がなく畳敷きの自由席に移動して寿司を食べながら吉原さんを見て私は確信した。私は 北陸が好きだな と。

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 それはおそらく その後日快晴の偕楽園やタレルの部屋を見られて増強された郷愁かもしれないし、寿司のうまさに耽溺した結果なのかもしれない。でも私は あの やけに白い金沢の曇り空と、広い金沢競馬場の、古風でさっぱりした設備と走り切るジョッキーや馬たちに思ってしまったのだ。私は北陸が好きなんだなと。そしてほくりくのおいしいすしがすきなんだなと。持った寿司よりはるかに小さな大きさで遠く走る吉原さんとサラブレッドを見て僕はこころのなかで呟いたのだ。

「ほくりくの、おいしい、すしだよ・・・・・」

 

 後日、この文言を冠レースの名前につけ、見事に現地観戦できなかった話はとてもあとに話すことにする。なお、無観客競馬が解除された暁には、年内でも第二回ほくりくのおいしいすしだよ杯を敢行する、よていである。

 

夕闇に吹け 菱柄の北風

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夜と昼の境目は大井競馬場に落ちている。すべての色彩が感応し合い、そしては青い暗さに満たされていくのだ。

 

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 その夕闇の中で、はにかんで、いろんな表情をして、それで快活にしゃべって、けらけらして、ああ、御神本さんが出ないレースは、この人を撮ればいいんだと思っていたジョッキーが居た。

 私が競馬にはまりはじめたとき、というのも競馬新聞をみてうんうん唸り始めたときではなく、たとえばパドックを周回するサラブレッドや、輪乗りの時のジョッキーに長いレンズを(その時偶然パークのダンサーを追うのをやめた妹にカメラをレンズ付きで譲ってもらったのだ、その対価としていくばくかのitune Cardをおわたしし、その貨幣は無事に妹のスマホの中で宝具2の始皇帝になった)向け始めた時の話だけれど、それは秋が深まる大井競馬のころであった。当然その時私は重賞に出かける体力はなく、平場をのそのそ撮り、入場料と自分が決めた額を御神本騎手の応援馬券に分配していたりした。
 
 御神本さんは そう毎レースのるわけではない、でも私にはそれがちょうど良かったかもしれない。現にたとえば府中で9レースほど福永さんが乗る場合、私はいつご飯を食べればいいのだろうか。決め打ちされたクライマックスのような御神本騎手の騎乗を待つのは、ある種のたのしみをつくりつつ、私に余裕をもたらしてくれた。

 御神本さんが出なければ誰を撮ればいいのですか?

 私は晩秋の中、あまりにもぎらぎら光る菱柄の勝負服にピントを合わせて居た。
 彼はだいたい喋って居た、挨拶の時は隣の騎手と、輪乗りのときは厩舎員さんと、返しのときは近くの騎手と、もしかして馬とも喋って居たのかもしれない。喋らない時はくしゃみするか咳き込んで居た。まるでその細い体に風邪を、いや風を封印しているかのようにすべてが辛そうで全てが生き生きして居た。私はカメラを構えて何枚か取って、ファインダー越しに彼自身が菱柄の風のように過ぎ去っていくのをただただ見て居た。例えれば彼はドラスティックな夕闇の中に吹きすさぶ一陣の風であり非常ないみじい生命であったのだ。

 彼の名は、瀧川寿希也と言った。

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 喘息持ちの若者が怪気炎を上げて鞍上にいたのだ。美しく鞍上に存在する御神本さんを夜の日本海と例えるならば、彼はせわしなく吹きすさぶ工場地帯の北風であった。でもずっと咳き込んでいた。咳き込んでくしゃみして、わらってかしゃかしゃ乗って、アークヴィグラスはローレル賞を一位で勝ってにこにこしていた。わたしはホウショウレイル を応援してたんだよ?そのときは周りに誰も競馬ファンはいなかったし、部屋の隅っこでレース結果を見るしかなかったんだけれどね。

 騎手の評価はいろいろあるし、彼に否定的な意見は現役時代からわんさかでていた。それを見てわたしは「それもそうだよねえ」と思ったりしていた。でもなんだか あの切れた肥後守のような、ラディカルな曲線を描く笑顔や、それこそ冬の風にあてられたりんごみたいなほっぺを否定しろと言ったら、私はジョッキーの外見をほめるのがだいすきだから(それは第一に御神本さんの美しい日本海のような顔立ちと瞳とか、中央の芝を全て集めたような優しい福永さんの目線とか、金沢の白身魚のあまみみたいな素敵な吉原さんのスマイルとか・・・)
 そんなことはできない 情緒的な外見をもつジョッキーを否定はできなかったのだ。

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 正月と平日の境目を川崎競馬で見つけたら案の定ぺちゃくちゃしゃべるジョッキーさんはにへらとしながら乗っていた。風邪引かないといいなあと案じていたらインフルエンザに3回かかっていた。ありがとう瀧川さん。あなたを例に出して患者さんにうがい手洗いの必要性を説けています。とりあえずいろいろあるけれど、ずっと若手の一人として乗ってくれているのかとおもっていた。クイーンカップにアークヴィグラス女史と出るとききなぜかお腹を壊しながら府中に馳せ参じて(これは福永さんがでるからです)気温3度でカメラを構えていたりした、中央の重賞でもおんなじような表情をしてしゃべりたそうな顔をしていた。ちなみに払い戻しは12Rに勝利した福永騎手のサインでした。やったぜ。

 彼は

 彼は急に出馬表から名を消した。誰もが当然と言うネットの風を見ながら、私だって了解できるところは多かったのだけれど なぜかそれはビジュアル的には虚無を覚えていたのだ。

 それは そのあとはまあみなさんの意見の通りです。私だっていろいろ言いたいことはありますし、いまとての状況を私に語れと言われたら それは それは私は馬券としては超初心者、何も言えません。お金が関わることですし 

 でもなんだか これはわたしはまったく正義ないけんじゃないけど、擁護だとか思われてもあれだけれど、袋叩きにすることはないじゃないと思うのであって、でもわたしはこういう文面でいうしかなくて、じゃあなんでそんなことをいうかというと。一般には発生しない事象ですが、感情と書き込みが爆発していろいろなほうこうにいくのはまあよくあることなんです。たぶん。言語と非言語の間には衒学的な緩衝ががあるかもしれないしないかもしれないのです。ここでいえるのはそれまでです それよりも言いたいのは

 あの菱柄がまたダートで、落ち着いた北風になって見られたらなあって 思ってしまうのです。父親にもなられたそうですね。

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 お風邪はひかないようにしてください。「お風邪はひかないようにしてください」・・・わたしはいみじい一介の競馬ファンですゆえ、全てのジョッキーと、ジョッキーだった方々にこの言葉に送りつつ、この文を終わらせていただきます。

萩へと益田へと至る道

 

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 羽田空港の滑走路から山口空港行きの機体が私とほか数名を連れて無理やりな角度で飛び出した時、私はなんで急に萩、益田に行くことになったのだろうと思ってしまった。思ってしまったからには後悔などはありますかと言われたらどちらかというと後悔ではなくて事を起こした高揚感に包まれているだけだったのかもしれなかった。轟音とともに雲を突き抜ける比較的小さな飛行機に揺られて(なぜ比較的と付け加えたのかというと後述の飛行機がもっと小さかったから)私は萩へと至る道を反芻していた。まあバスを1回乗り換えるだけなのだけれど。

 その旅行の目的は益田競馬場跡に行くことであった。簡単なことで御神本騎手の故郷でありルーツである益田競馬場跡にファンとして一度訪れたいということだけだった。そこがもし荒涼とした更地になっていたり、果ては他の商業的でない施設になっていた場合、そこに赴くのはマナー違反だと思われるが、益田競馬場は廃止の憂き目にあった後、その特別観覧席のみが保存されて場外馬券場になっている。要するに大手を振って巡礼ができるのである。益田に1日いるという選択肢はあったのだが、私はなぜか前日は萩にいることになっていた。単純に萩の温泉が良さそうだというのとーー少なくとも私の感覚だとーー彼のファンになって日も浅かった私が、二日も彼の故郷にいるのは、なんだか全身がちくちくする気がして、後ろめたかった思いが強かったのだ。そんなことを一つも御構い無しに中国地方を縦断するバスは草はらとカルストに挟まれたアスファルトの上を走り、萩に向かっていた。萩は夏みかんが有名らしかった。

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 萩は夏みかんが美しかった。義士名家の館のあいだに咲き誇るように熟してない夏みかんが生っていた。なぜ人間は暖色系のまるいものをみると上機嫌に見えるのだろうか。夏みかんは朗々と青空の下に生っている。
 萩は上機嫌な街に見えた。みかんの合間に史跡があり大きな城や資料館があった。萩焼の土産物屋があり道の駅は海産物を売っていた。人影はせわしすぎず、歩く人々は観光客もそれを相手する方々もゆったりとしたように見えた。

 山陰は温かい場所だ。
「ーいやあ よく来ましたね。この宿は古いですが 眺めや湯が自慢です」
 そんな宿の運転手さんの言葉を思い出しつつ、その日はインターネットで高知の一発逆転ファイナルレースを見てから寝た。

 

 益田に旅立つ時、萩の反射炉の観光整備員さんは言ってた

「萩は失敗の歴史かもしれません この反射炉も失敗作なのです。ただこの失敗があったからこそ技術の発展はあった。萩はそういう場所です」
 その話を聞いた途端、私の心に一片だけ重いものが生まれることになった。そんなことを言わないでくださいという思いが胃酸で溶けないなにかになった。整備員さんは言った。この線路も 滅多に電車は通らないのです。ここはそういうところです。

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 その指差した山陰線に私は乗るのだけれど。
 もしかして私が山陰に来るのは間違いだったのでは?そう思うしかなかったのは 私はただ単に一介のジョッキーのファンでしかなくて、萩へと益田へと至る道を歩むのも御神本訓史たった一人への尊敬のためだったからであってそれ以外の感傷を受け入れて私が一人のツーリストとして立って入られたかと言われたらそれはどだい無理な話であって、今すぐにでもしっぽまいて羽田に逃げなければなかったかもしれないという強迫観念があったからであった。
 

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 私が覚悟したのは轟音を立てるディーゼル車を見た時であった、その列車は確実に行き先に「益田」と名乗っていた。私はただただ誰もいないホームでそのオレンジ色の車体を見つめていた。この列車に乗れば、私は益田に赴くことができる。そしてそれは御神本ファンにとっての巡礼である。ただそれは正しい行動であったのか?私はそっと自問自答する。私はたった一人への憧憬を元に、山陰の地を理解しても良いのだろうか?時刻表の合間に數十分座り込んだ私は時計を見て腰を上げた、恐らくそれは狂気に似ていた。

 

 乗り込んだ列車の乗客はわずかだった。
 東萩駅を出たきしむディーゼルは私とともに東に向かった。途中反射炉を説明する観光整備員さんの背中を見た。

 

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 私は私に聞く。反射炉や名家の史跡を彩る夏みかん、果ては暖かく迎える日本海は御神本騎手でありましょうかと。いや そうじゃないかもしれないし そういかもしれないけれど わかりました
 何か求めたい物をこなすだけが旅でないのは確実であって、そこに至る道に感慨を得てそれに感化されるこそが旅なのだ。立っていられなかったら座って大人しく感慨を受け入れればいい。私はたった一人のいみじい旅人である。ディーゼルはやがて日本海側の海岸線をなめるようにして益田にたどり着こうとしていた。おそらく全ての旅がそうなのだ 全ての感情を受け入れて それでいて打ちのめされてもまあまあそういうテイで生きていけばいいのだ。わたしは思った。その時そう思ったからこそ、益田での出来事に耐えられた。

 正直言って 山陰線のディーゼルカーはとても風通しがよく、1月の私はとても冷えてしまって大変だった。だから益田駅を散策する余裕もなく、私はタクシーのお世話になることになった。
 タクシーの運転手さんはとても気さくな人でお話をしてくれた。今日は病院のお迎えがたくさんで、でもまあ競馬場から空港ぐらいだったら、すぐにこの電話に電話すればだいじょうぶと教えてくれて、道中少しだけ益田の話をすることもできた。

「僕は最近益田に出戻って来たんですよ すぐに都会に出ましてね。益田はもうねえ せっかく空港ができても萩や阿久和に人が流れるでしょう?雪舟や人麻呂で人をよぼうとしても・・・んで、本当に高津のほうでいいんですか?」

私「はい 益田競馬場まで行きたいんです」

「競馬場跡にいきたいの?」

私「はい」

「益田競馬ねえ 僕は大きくなってすぐここを出ちゃいましたけど 一時期はがんばってたみたいですがね 馬もなんとか でもつぶれちゃって 馬は一旦福山にいったみたいですね それから高知に いやあ益田にもすごいジョッキーもいたみたいですが」

私「それって・・」

 私がその時、運転手さんから御神本騎手の名前が出ると当然思っていたのではないけれど

「吉岡さんっていうんですがね」

予想できることであったが、私は絶句した
運転手さんの大きくなる前の頃は 御神本騎手の前、おそらく女性ジョッキーとして目覚ましい活躍を残した吉岡騎手の時代であったのだった。それほどの遠い時代を経て益田に戻って来た運転手さんは慣れた手つきで競馬場前に止めて私を下ろした。

 私は振り返るようにして益田競馬場跡を見た。

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 夕日になりかけた昼下がりの太陽が雲をまとって優しく特別観覧席を照らしていた。必死に夏みかんを思い出そうとしても感傷がまさってしまった。歩む勇気はあったけれど、放心状態で私は益田競馬場、いや益田場外に向かっていた。まるで信徒が巡礼するみたいに。それとも、故郷のない人間が故郷と勘違いしてどこかにさまようみたいに。
 結論から言うと、益田場外はTCKの1階フロントをだいぶ暖かくしたような場所だった。
 おじさんたちやおばさんたちが楽しそうに歓声をあげて 画面越しにいろいろ叫んで なんだか払い戻しがあって 普通の馬券場であった
 ただ左手の壁脇に3名のかつて益田で騎乗した騎手の勝負服が飾られて、コルクボードに騎手の活躍が書かれて、特別観覧席の目の前は道路であったり給食センターであったりした。

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 和気藹々と警備員の方となごやかな博徒たちが競馬を楽しんでいて、私はその中で呆然とするしかなかったのだけれど、馬券の左下に益田場外馬券場と刻む以上の何かをそこから得られたかと言われたら、あったのかもしれない。いろんな旅情と感傷を受けれいてもなお、馬券を発行する音ともに、そこに競馬場があったことを思い出せる疑似体験をできたのであったら 一瞬でもそのガラス越しに益田のコースを夢想して そこで駆けるアングロアラブ御神本訓史を見られるとしたら

「あら どこから来たの」

 新聞売り場のお姉さんが私に言った。

私「・・・・御神本さんのファンになっちゃって 東京から来たんですよ」

「東京かー! あのね あの駐車場あたりのところ、あそこがパドックだった。この写真みて 武豊がきたこともあるの」

私「そうなんですか!あそこらへんがパドック

「今は全部平らになっちゃった。フミくんのファンなんだ。フミくん最近は乗ってない見たいだけれど」

私「(それは今1日3鞍ぐらいって話なのか・・・それとも以前のあの話なのか・・・)」

「フミくん応援してあげてね 私は東京にはあんまり行けないけれどね」

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 私は益田にあんまり行けるのだろうか


 憑き物が落ちたように 空港へ向かった。


 行きの飛行機よりはるかに小さな飛行機に揺られて萩石見空港から飛びだって私は遠い目をして羽田に帰ろうとしていた。私は旅人で良かったのだろうかという問いに最後まで答えは出なかったけれど、それを思い出させるような感慨が訪れても私は連綿として旅人でいようという諦めみたいなものは心の底についていた。
 美しい美しい山陰の海や、青空を彩る夏みかん。そして益田に確かに残る益田競馬場の記憶を見て私は山陰を去る。

 ー萩へ益田へと至る道はなにもかもが感傷で包まれていてそれでも暖かく陽光と夏みかんで照らされていた。巡礼と勘違いした道も吹きすさぶ寒風も「まあ そういうこともあるよね」と諭すように柔らかかった。誰が私をここまでて連れてきてしまったのだ。

 羽田空港が見えてきた。

小説、御神本騎手について。

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東京の浜松町と羽田空港奥座敷までを結ぶモノレールを東京モノレールという。がたがたうるさいがわりと速い。
 それに揺られながら、私は思うのだ。私は今何ページ目を開こうとしているのだろうと。
 小説御神本騎手という本は何ページで構成されていて、わたしはその中の何ページ目を覗きに行っているんだろうか、見開きのTCKの門はいつだってうかれて綺麗に飾られていて、東京のうかれさを凝縮したマスコット(うまたせ君という)が待ち構えていてくれる。
 
 彼は歩く小説のようなジョッキーである。

 

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 たぶんその小説の第1章は、えんえんと歴史学者によって書かれた益田市の歴史であろうか。端的に言うと益田は御神本氏の末裔御神本訓文は益田競馬場にて若きジョッキーになりました。もう2章にいってる。島根の益田競馬場は閉鎖になり彼は大井競馬場へ・・・島根の海の近いのどかな競馬場から、天蓋光り輝くTCKへと・・・・。

 

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 緒言として名前が御神本だ。御神本なんて仰々しい苗字、キャラクターとして申し分ないほどに好スタートだし、彼はまず顔がバカみたいにいい。アイドルのように顔がいいわけじゃなくて(アイドルみたいに顔がいいのは矢野騎手ってのが大井にいるので見てください。弟みたいに顔がいいのは笹川騎ry)業が深い感じに顔がいい。物憂げな瞳が色白な顔に双眸としてはめられている。そして手がお綺麗だ。まるで大理石の白いところをあつめたみたいに手が白くて綺麗だ。ここまで読んでちょっと筆者こだわりすぎかなって思われた方は残念ながら大正解です。まあいいその美しい姿は、だいたい私たちの目の前では、赤胴白星散らし、青袖白星散らしに包まれて、要するに彼は流れ星を一ダースぐらい纏ってやってくるので、本当に彗星の如く現れてお馬さんに乗ってやってきた魅惑の王子様に見えてしまう。 そこまで白髪三千丈ならぬ、白星三千丈と書き立ててしまうのは、やはりあの大井競馬という並々ならぬ非日常の中にあったからであって、大井競馬という文体はファンタジックで巨大なメリーゴーランドに等しく、客席はなんだか花火大会でもはじまるかのようにうかれていて、パドックの周りはもちろん競馬新聞を持った気難しい勝負師の方々が多いけれど、おそらく必ず数人は、大きなレンズのカメラを持った、どちらかというと長浦とか戸田あたりにいそうな、身綺麗な、魔法にかけられてしまったお嬢さんがたがいるのだ(私は身綺麗じゃないのしレンズも小さいので背景の醜い”木”でいい)。流れ星を纏った王子様に魅せられた、魔法にかけられてしまった人々が。

 パドックで騎手が乗って周回する時間は短く、その間に阿鼻叫喚のようなシャッター音が響くときはある。私なんてぶれっぶれにしか撮れない。その緊張感から解き放たれたように返し馬(パドックから出て、馬を大きくレース前に走らせる時)としてお手馬と彼が走り始めると、流れ星をまとった王子様は、魔法で流れ星になってしまう、要するに美しい騎手とサラブレッドは目の前で急加速し猛スピードでゲートに走り去る。

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 月に魔法をかけられ、赤いタスキの可愛い子ちゃんとか、トランプの柄みたいなもう一人のイケメンとか、アンタレスの使いみたいな大井の帝王や、いろんな人たちがうまにのってゲートインすると、うまちゃんたちは魅せられてかつての少年少女たちが馬になったんだな、そういうような錯覚に陥る。

 おそらくもしかしてここは鞭と魔法のファンタジー文学なのかもしれない。絢爛なファンファーレ隊のお嬢さんがファンファーレを吹き、その後に畢竟学状の結果が付いてくる 抜いてもさしても 逃げても先行しても 最後には歓声と夢でしめくくられる。

 だから彼さえきっとおそらく、そういうファンタジックな文学の一ページなのだ 今ここは羊皮紙のページだ。

 でも見る人にとっては 私の目の前のファンタジックな光景は、金銭上のとても重大なレースかもしれないし、まあもともと競馬なんてそういうものかもしれないから、見る人によってはこの羊皮紙は、ただの競馬新聞の1ページなのかもしれない。そう、それでいいのだ、見る人によってはファンタジックで、見る人によってはドライでそれでいいのだ、でも、そこにあるのは、いや、彼にあるのはなにかしらの1ページであってほしいのだ、それはすべての騎手やサラブレッドに対して言われるべきだろうし、いわんや私が彼に対して決めつけてしまうのは暗鬱な思考になってしまうけれど。
 でも私にとっては、許してください、彼は私にとっては小説の中の人間なんです。あまりにもドラスティックな競馬小説の中の登場人物なのです。彼がもし私の目の前に、例えば口取り式のお披露目とか、パドックでの集会で姿を見せたとしても、それは幻覚なのです。私はとうてい、御神本騎手を実在の人間だなんて認められない、彼はきっと漫画か小説かの登場人物で、彼が実在したなんて許せないほどに彼は美しい。
 説明できないことはたくさんあります、じゃあなぜ私のスマホカバーのポケットには、彼がくれた勝ち馬券がはいっているのか(百十円と思い出なら思い出をとった)じゃあなぜ私はまだ日の高い新馬戦で、彼の名を怒号するおじさんの声を聞けたのか(差せましたね)
 じゃあなぜ、あの薄ら寒い明るい第二レースの口取り式あと、綺麗なお姉さんに混じって、私はあなたに握手ができたのか。

 

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 私はいつか終わる御神本騎手という小説を1ページでも、1ページでも読もうともがく醜い木にすぎない、古ぼけたカメラはわりかしいつだってブレた写真しかくれないし、そのなかで奇跡的にきれいにとれた王子様の写真を現像して飾ったりする。
 
 実在しない人は大井競馬場のダートを流れ星のようにかけて行った、流れ星だったからよくわからなかった。

 東京の浜松町と羽田空港奥座敷までを結ぶモノレールを東京モノレールという。がたがたうるさいがわりと速い。
 揺られてだだっぴろい大井競馬場にたどり着いて、パドックサラブレッドに人生相談して、そのうちあの流れ星をひらくのだ。競馬というものを知るにつれて推すようになった福永ジョッキーとちがって、御神本氏を知るのは霹靂であった、なぜなら気づいたら京急線にのって、空港線にいたから。

 小説御神本騎手という本は何ページで構成されていて、わたしはその中の何ページ目を覗きに行っているんだろうか、私はときに悲痛な面持ちで彼を見る。重賞取り逃がして私の胃に穴が空いた時、ああ私はもはや完璧にだめになってしまったのだなと思いながらも、それでも御神本騎手のこと以外は考えられない帰り道もあった。だって美しいのだ、だって全てが美しい、白馬に乗った王子様は第四コーナーからやってくる ああいけません王子様、その子は単勝1.2倍 馬群になんて飲まれては、でもでも でもだってでも私はあなたを応援し続けるだろうし、私はあなたを撮り続けるのだろうと思う。それはもうどんなバッドエンドになったとしても私の責任であるのだ。私はただ読みかけの御神本騎手という小説を拾ってしまって、それに熱中して最後まで読み続け、読み返してもそれは過去であり、ページは否応なく進んで行く。呪いをかけられてしまった醜い木でいいのだ、ただただ追うしかない、ただただ読むしかない、スキャンダラスでグラシアスな、羊皮紙に書かれたとある騎手の小説を、最大限のロマン主義をもってして、最小限の理性をもってして。ああそこに走り去る白馬は確かにいました、名前はフジノウェーブ といいます。

 

 ようこそ大井競馬場へ 私は会いに来ました、羊皮紙の小説よ、白馬の王子様、島根から来た概念よ。

 御神本騎手はそこにいる、ようこそ概念へ、思考を止めてカメラを構える準備は、できていた。

 

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ダービージョッキーに会いに新潟まで行った話

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新潟の空に消えそうになる福永さんに手を伸ばそうとして でも私にはあまりにも新潟の空は広すぎて何もできなかった

 

 目の前を蹄の音を立てて風のように過ぎ去っていったふくながさんをずっと見ていて、まるで涼しかった新潟の空にそのまま駆け上がってしまいそうに見えたけど、日曜日テレビで競馬をみてたらちゃんと札幌にふくながさんいたからたぶんあれは幻だったんだろう。

 

 新潟は暑くはなかった それは台風かなんかで全国が涼しかったらしい 私は無意識のままに気づいたら新潟にいて、気づいたら新潟競馬場にいた。

 

 

 

 福永祐一というジョッキーがいるらしい 私がそういう書き方をするのは、常に彼は私にとって空想にもちかい非現実感の中に存在し、その実在性を考察すればするほどサラブレッドたちは脳内で跋扈しうごめくので掴めないからである。最初に彼の名を知るきっかけとなったのはうら寒い3月のことであった、東京ドームの23番ゲート近くの場外馬券場に家族と怖いもの見たさで入って行って、そこで物珍しさから弥生賞馬連を買った たぶん一番がダノンプレミアムで(それはとてもおいしそうな名前だったから)二番はワグネリアンにした 。馬連だから一番も二番もないじゃないですか そういうかもしれませんが私はなにもわからなかった。どれくらいわからなかったと言われれば、家族と馬券を買うつもりでオッズカードを買ったぐらいにわからなかった。我々は散々な思いで3枚のオッズカードと2枚の馬券を買って東京ドームに入った どちらをおうえんするわけでもないヤクルト対巨人の試合を見て、その途中で阿部がいやらしいほどにホームランを打って巨人は勝った。

 初めて買った馬券はダノンプレミアムとワグネリアン馬連だった。たぶん500円は1500円になった。

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 二度目に馬券を買ったのはあまりにも暑い5月の末のことだった。私は友人と西武ドームで野球を見ることになっていた なぜ馬券を買ったのかと言われたら、そりゃあ日本ダービーだからと答えるしかなかった。前回のビギナーズラックから、私は悪い自信をもって適当に選んだ3頭のサラブレッドにおみくじをまかせることにした それは一頭はおそらく初めてオグリキャップディープインパクト以外に名前を知ることとしたダノンプレミアム、かすかに名前を覚えていたワグネリアン、あとは皐月賞で(このときすでに日曜日のテレビで競馬を見ることはしてたけれどどうだったんだろう)1着だったエポカドーロ それぞれ500円ずつ単勝で掛けた かけた場所はそこにいたるまで日光を目に入れすぎた新宿のウィンズ、日光にやられながら池袋まで行って、気づいたら西武ドームで蒸し焼きにされるための輸送線路の中で騎手の名前を調べていた。 

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 今も忘れない家族から十七番が勝ったとメールが来て、その三十分あとに浅村が二塁を踏み忘れるなどしてライオンズは屈辱的な逆転負けをした。わたしは震えながら三頭の名前が書かれた定期券サイズのぺらがみをもって遊園地電車に乗り、夜をかけて西武線でどこかへ帰った。その夜動画サイトを見て私はワグネリアンの鞍上に居る男の名前を覚えた だって実況がけたたましく、まるで筒香がホームランを打ったかのように言っていたのだ 鞍上は福永祐一ワグネリアンワグネリアン、鞍上は福永祐一

 

 福永祐一の顔を女性ファン向けの公式サイトで確認したのを覚えている。まるで上品な小柄の音楽教師みたいな出で立ちだった。いままでジョッキーといえば武豊氏かルメール氏しか知らなかった私にとって、洒脱で優しそうな顔の福永氏は新しい世界であった。かっこよかった。とてもかっこよかった。

 

 最初に行った競馬場はどこですか?それは府中です。

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 府中でヴィヴロスのぬいぐるみを買ってあとはゆっくりと過ごしていた。パドックで回遊するサラブレッドを見たり、馬券かうところで逡巡したり、放牧されている引退した馬を見たりしていた。しかしてメインレースはやってくる。芝を伝う蹄の音を寝転がりながら聞いている。宝塚記念はミッキーロケットが勝ったらしいですね。鞍上は和田竜二。私はぼうっとした頭で(球場のときよりは飲んでいないはずだったけれど)府中競馬場から去った。電車の中で無造作にスマートフォンを操作して、ふくながさんを再履修していた。育ちの良さそうな優男さんで家族も持っていて、親父さんは本当に素晴らしい人。そういうウィキペディア的な知識を頭につめこみつつ、もちろんあの良血馬キングヘイローのこともしらべた(キングヘイロー号はすでにとある媒体でお嬢さんの姿になっていて、それはかつてお嬢さんにされた軍艦のようにきゃんきゃんと可愛かった) 

 福永祐一氏を調べるうちに、とある感情がこみ上げてきた。ああこの人を 一度でも生で見られることがあったら 私はどれだけ幸せものなのだろう。そして彼方に 芝の彼方に福永さんがサラブレッドで駆けゆく姿を見られれば 私はどれだけ幸せなのだろう。

 

 

 

 夢にまで見た福永祐一

 

 

 なんども不器用な寝ている間の夢を見た 新幹線が止まる夢  競馬のために新潟にいくのを反対されて 怒られる私の夢

 

 私が福永氏を応援したいと思った頃には、競馬は夏競馬に推移し、私は新潟に遠征しないといけないことになっていた。でも昼間の夢を見るためにいろいろと手はずを整えた。夜に見る夢はだいたい悪夢だ。でも夢を叶えたいから、悪夢は忘れたし、まあお盆前の業務はだいたい悪夢みたいなものだったけれど、私は耐えた。夏場の府中を走る馬はいない。私はその時期中央競馬を見るためには新潟か札幌にいくべきなのだ。札幌は遠すぎる、新潟なら 新潟なら そして奇跡的に公休は降ってくる。 土曜の新潟競馬に行ける日程だった 血なまこで新幹線と、派手な社長のビジネスホテルを予約する。わかっている わかっていた わかっていたんだ 出走表を見て確信した。

 

 新潟

 

 新潟での旅は鷹揚だった ”とき”は途中で止まったし、バスセンターのカレーはおいしかったけれど、たべたあと眠くてずっとホテルで寝てしまったし、バスの乗り方はわからなかった。なんとか生き延びて荷物をまとめて二日目に競馬場行きのバスに乗り、私はわけのわからない感情に苛まれながら生き延びていた 乗客はほかはおっちゃんしかいなかった。

 

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 阿賀野川を越えてバイパスを掛けるとそこは新潟競馬場だった。

 

 

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 競馬とはどのようなものですか?

 

 私が思い出すのはいつだって芝の上で寝転んだ記憶だ

 永遠に時が流れるような、でもあと第10レースまで10分しかないんですよ。

 広い広い空の上 記憶を失いそうにして生きてる。

 

 私はよくわからない でも美しいものであるのは確かだ、芝の上を豪速球のように駆け抜けるサラブレッド 蹄の音が客席側まで響く シャッタースピードが足りないんです 彼らを写すには。

 じゃあパドックではと聞かれたら私はあの、回遊魚のように優雅に周回する馬たちが美しくて好きです。そして止まれと言われた彼ら彼女らが、慣れた厩舎員ではなく派手な服の優男淑女にあてがわれた時、いっときの時空的格差に固唾を飲むしかない。全部始まる。全部始まるのかと言われればそこで全部終わってしまうのかもしれません。馬が何考えているか私はわからん。ただただ早く過ぎ去る時間の塊を見つめているだけで

 

 ふり絞られた弓のように走り出す10何頭かを目視できるのかできないかと聞かれたらできない 私は何もできずにボケた写真を量産するしかしなかった。あの蹄の音を耳鳴りのように思い出せるのは、美しいからであって、決して私の頭がいいからではない。馬券を買っておくのは(だいたいそれは単複応援馬券の200円分で)最後の理性(それは射幸心とも言われる)で自分を現世につなぎとめておく必要があるからであって、だってそれ買っておかなかったら、私はただ全頭に乗った福永さんを幻視し、全頭に拍手喝采するだけの理性をなくした生き物になってしまうのだ。それほど尊いのだ サラブレッドは。

 

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 新潟の空に消えそうになる福永さんに手を伸ばそうとして でも私にはあまりにも新潟の空は広すぎて何もできなかった

 

 目の前を蹄の音を立てて風のように過ぎ去っていったふくながさんをずっと見ていて、まるで涼しかった新潟の空にそのまま駆け上がってしまいそうに見えたけど、日曜日テレビで競馬をみてたらちゃんと札幌にふくながさんいたからたぶんあれは幻だったんだろう。絞り切るような曲線美をもってして風をおいこすかぐらいに走っていた彼はすでに幻想だったし、単鞭をしならせた最終コーナー、足音共に熱狂とおじさんたちの声がこだまして、わからない感じになり、わからなくなり、わからなくなりそうだから私は必死に好きな人の背中を探していた。福永祐一福永祐一、どこに乗ってたんだっけ、何番の馬だっけ、ここはどこだっけ新潟だ 新潟 新潟ってどこ?風のように、ふり絞られた振り子のように舞い戻ってくる、まるで走馬灯のような光景。だってみんな派手な服を着ていてなにをしているか皆目見当わからないけれど、みなが弾丸のごとく走っているのはわかるのだ。私は死ぬかもしれない、あまりにも嬉しいから だって目の前を彼が駆けてゆく メインの後の最終レース新潟12R 夢にまで見た福永祐一キャナルストリート号に乗って最後の直線にかけていった。私は夢を見ていない、夢を見ていない、私は確かに目の前に福永祐一を見ていた。ここはどこだっけ 新潟だ 東京に帰るには2時間かかる。しらねえなあ。だってこのまま飛ばせば、数十秒で帰れるよ。一瞬の駆け引きののちに残るは荒涼とした 青々とした 芝。

 

 

 馬券は当たりましたか?最終レースだけ当たりました。でも同着で払戻金は少なくてね。でも万馬券が当たったんです、私たちの待つウィナーズサークル前、はにかんで勝負服に身を包み、鞍も外した若い馬とともに現れたのは福永さんでした。にこやかに話していました。その声だけで万馬券です。

 

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 帰りのバスの記憶はない 帰りの新幹線の記憶はある。ただただ田園風景を見ながら、そこを新幹線と同じような速さで走るワグネリアン号と、それにつかまる福永さんの幻を見ていたやつ。

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