さなぎ長文

けいば 妄言

萩へと益田へと至る道

 

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 羽田空港の滑走路から山口空港行きの機体が私とほか数名を連れて無理やりな角度で飛び出した時、私はなんで急に萩、益田に行くことになったのだろうと思ってしまった。思ってしまったからには後悔などはありますかと言われたらどちらかというと後悔ではなくて事を起こした高揚感に包まれているだけだったのかもしれなかった。轟音とともに雲を突き抜ける比較的小さな飛行機に揺られて(なぜ比較的と付け加えたのかというと後述の飛行機がもっと小さかったから)私は萩へと至る道を反芻していた。まあバスを1回乗り換えるだけなのだけれど。

 その旅行の目的は益田競馬場跡に行くことであった。簡単なことで御神本騎手の故郷でありルーツである益田競馬場跡にファンとして一度訪れたいということだけだった。そこがもし荒涼とした更地になっていたり、果ては他の商業的でない施設になっていた場合、そこに赴くのはマナー違反だと思われるが、益田競馬場は廃止の憂き目にあった後、その特別観覧席のみが保存されて場外馬券場になっている。要するに大手を振って巡礼ができるのである。益田に1日いるという選択肢はあったのだが、私はなぜか前日は萩にいることになっていた。単純に萩の温泉が良さそうだというのとーー少なくとも私の感覚だとーー彼のファンになって日も浅かった私が、二日も彼の故郷にいるのは、なんだか全身がちくちくする気がして、後ろめたかった思いが強かったのだ。そんなことを一つも御構い無しに中国地方を縦断するバスは草はらとカルストに挟まれたアスファルトの上を走り、萩に向かっていた。萩は夏みかんが有名らしかった。

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 萩は夏みかんが美しかった。義士名家の館のあいだに咲き誇るように熟してない夏みかんが生っていた。なぜ人間は暖色系のまるいものをみると上機嫌に見えるのだろうか。夏みかんは朗々と青空の下に生っている。
 萩は上機嫌な街に見えた。みかんの合間に史跡があり大きな城や資料館があった。萩焼の土産物屋があり道の駅は海産物を売っていた。人影はせわしすぎず、歩く人々は観光客もそれを相手する方々もゆったりとしたように見えた。

 山陰は温かい場所だ。
「ーいやあ よく来ましたね。この宿は古いですが 眺めや湯が自慢です」
 そんな宿の運転手さんの言葉を思い出しつつ、その日はインターネットで高知の一発逆転ファイナルレースを見てから寝た。

 

 益田に旅立つ時、萩の反射炉の観光整備員さんは言ってた

「萩は失敗の歴史かもしれません この反射炉も失敗作なのです。ただこの失敗があったからこそ技術の発展はあった。萩はそういう場所です」
 その話を聞いた途端、私の心に一片だけ重いものが生まれることになった。そんなことを言わないでくださいという思いが胃酸で溶けないなにかになった。整備員さんは言った。この線路も 滅多に電車は通らないのです。ここはそういうところです。

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 その指差した山陰線に私は乗るのだけれど。
 もしかして私が山陰に来るのは間違いだったのでは?そう思うしかなかったのは 私はただ単に一介のジョッキーのファンでしかなくて、萩へと益田へと至る道を歩むのも御神本訓史たった一人への尊敬のためだったからであってそれ以外の感傷を受け入れて私が一人のツーリストとして立って入られたかと言われたらそれはどだい無理な話であって、今すぐにでもしっぽまいて羽田に逃げなければなかったかもしれないという強迫観念があったからであった。
 

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 私が覚悟したのは轟音を立てるディーゼル車を見た時であった、その列車は確実に行き先に「益田」と名乗っていた。私はただただ誰もいないホームでそのオレンジ色の車体を見つめていた。この列車に乗れば、私は益田に赴くことができる。そしてそれは御神本ファンにとっての巡礼である。ただそれは正しい行動であったのか?私はそっと自問自答する。私はたった一人への憧憬を元に、山陰の地を理解しても良いのだろうか?時刻表の合間に數十分座り込んだ私は時計を見て腰を上げた、恐らくそれは狂気に似ていた。

 

 乗り込んだ列車の乗客はわずかだった。
 東萩駅を出たきしむディーゼルは私とともに東に向かった。途中反射炉を説明する観光整備員さんの背中を見た。

 

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 私は私に聞く。反射炉や名家の史跡を彩る夏みかん、果ては暖かく迎える日本海は御神本騎手でありましょうかと。いや そうじゃないかもしれないし そういかもしれないけれど わかりました
 何か求めたい物をこなすだけが旅でないのは確実であって、そこに至る道に感慨を得てそれに感化されるこそが旅なのだ。立っていられなかったら座って大人しく感慨を受け入れればいい。私はたった一人のいみじい旅人である。ディーゼルはやがて日本海側の海岸線をなめるようにして益田にたどり着こうとしていた。おそらく全ての旅がそうなのだ 全ての感情を受け入れて それでいて打ちのめされてもまあまあそういうテイで生きていけばいいのだ。わたしは思った。その時そう思ったからこそ、益田での出来事に耐えられた。

 正直言って 山陰線のディーゼルカーはとても風通しがよく、1月の私はとても冷えてしまって大変だった。だから益田駅を散策する余裕もなく、私はタクシーのお世話になることになった。
 タクシーの運転手さんはとても気さくな人でお話をしてくれた。今日は病院のお迎えがたくさんで、でもまあ競馬場から空港ぐらいだったら、すぐにこの電話に電話すればだいじょうぶと教えてくれて、道中少しだけ益田の話をすることもできた。

「僕は最近益田に出戻って来たんですよ すぐに都会に出ましてね。益田はもうねえ せっかく空港ができても萩や阿久和に人が流れるでしょう?雪舟や人麻呂で人をよぼうとしても・・・んで、本当に高津のほうでいいんですか?」

私「はい 益田競馬場まで行きたいんです」

「競馬場跡にいきたいの?」

私「はい」

「益田競馬ねえ 僕は大きくなってすぐここを出ちゃいましたけど 一時期はがんばってたみたいですがね 馬もなんとか でもつぶれちゃって 馬は一旦福山にいったみたいですね それから高知に いやあ益田にもすごいジョッキーもいたみたいですが」

私「それって・・」

 私がその時、運転手さんから御神本騎手の名前が出ると当然思っていたのではないけれど

「吉岡さんっていうんですがね」

予想できることであったが、私は絶句した
運転手さんの大きくなる前の頃は 御神本騎手の前、おそらく女性ジョッキーとして目覚ましい活躍を残した吉岡騎手の時代であったのだった。それほどの遠い時代を経て益田に戻って来た運転手さんは慣れた手つきで競馬場前に止めて私を下ろした。

 私は振り返るようにして益田競馬場跡を見た。

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 夕日になりかけた昼下がりの太陽が雲をまとって優しく特別観覧席を照らしていた。必死に夏みかんを思い出そうとしても感傷がまさってしまった。歩む勇気はあったけれど、放心状態で私は益田競馬場、いや益田場外に向かっていた。まるで信徒が巡礼するみたいに。それとも、故郷のない人間が故郷と勘違いしてどこかにさまようみたいに。
 結論から言うと、益田場外はTCKの1階フロントをだいぶ暖かくしたような場所だった。
 おじさんたちやおばさんたちが楽しそうに歓声をあげて 画面越しにいろいろ叫んで なんだか払い戻しがあって 普通の馬券場であった
 ただ左手の壁脇に3名のかつて益田で騎乗した騎手の勝負服が飾られて、コルクボードに騎手の活躍が書かれて、特別観覧席の目の前は道路であったり給食センターであったりした。

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 和気藹々と警備員の方となごやかな博徒たちが競馬を楽しんでいて、私はその中で呆然とするしかなかったのだけれど、馬券の左下に益田場外馬券場と刻む以上の何かをそこから得られたかと言われたら、あったのかもしれない。いろんな旅情と感傷を受けれいてもなお、馬券を発行する音ともに、そこに競馬場があったことを思い出せる疑似体験をできたのであったら 一瞬でもそのガラス越しに益田のコースを夢想して そこで駆けるアングロアラブ御神本訓史を見られるとしたら

「あら どこから来たの」

 新聞売り場のお姉さんが私に言った。

私「・・・・御神本さんのファンになっちゃって 東京から来たんですよ」

「東京かー! あのね あの駐車場あたりのところ、あそこがパドックだった。この写真みて 武豊がきたこともあるの」

私「そうなんですか!あそこらへんがパドック

「今は全部平らになっちゃった。フミくんのファンなんだ。フミくん最近は乗ってない見たいだけれど」

私「(それは今1日3鞍ぐらいって話なのか・・・それとも以前のあの話なのか・・・)」

「フミくん応援してあげてね 私は東京にはあんまり行けないけれどね」

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 私は益田にあんまり行けるのだろうか


 憑き物が落ちたように 空港へ向かった。


 行きの飛行機よりはるかに小さな飛行機に揺られて萩石見空港から飛びだって私は遠い目をして羽田に帰ろうとしていた。私は旅人で良かったのだろうかという問いに最後まで答えは出なかったけれど、それを思い出させるような感慨が訪れても私は連綿として旅人でいようという諦めみたいなものは心の底についていた。
 美しい美しい山陰の海や、青空を彩る夏みかん。そして益田に確かに残る益田競馬場の記憶を見て私は山陰を去る。

 ー萩へ益田へと至る道はなにもかもが感傷で包まれていてそれでも暖かく陽光と夏みかんで照らされていた。巡礼と勘違いした道も吹きすさぶ寒風も「まあ そういうこともあるよね」と諭すように柔らかかった。誰が私をここまでて連れてきてしまったのだ。

 羽田空港が見えてきた。

小説、御神本騎手について。

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東京の浜松町と羽田空港奥座敷までを結ぶモノレールを東京モノレールという。がたがたうるさいがわりと速い。
 それに揺られながら、私は思うのだ。私は今何ページ目を開こうとしているのだろうと。
 小説御神本騎手という本は何ページで構成されていて、わたしはその中の何ページ目を覗きに行っているんだろうか、見開きのTCKの門はいつだってうかれて綺麗に飾られていて、東京のうかれさを凝縮したマスコット(うまたせ君という)が待ち構えていてくれる。
 
 彼は歩く小説のようなジョッキーである。

 

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 たぶんその小説の第1章は、えんえんと歴史学者によって書かれた益田市の歴史であろうか。端的に言うと益田は御神本氏の末裔御神本訓文は益田競馬場にて若きジョッキーになりました。もう2章にいってる。島根の益田競馬場は閉鎖になり彼は大井競馬場へ・・・島根の海の近いのどかな競馬場から、天蓋光り輝くTCKへと・・・・。

 

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 緒言として名前が御神本だ。御神本なんて仰々しい苗字、キャラクターとして申し分ないほどに好スタートだし、彼はまず顔がバカみたいにいい。アイドルのように顔がいいわけじゃなくて(アイドルみたいに顔がいいのは矢野騎手ってのが大井にいるので見てください。弟みたいに顔がいいのは笹川騎ry)業が深い感じに顔がいい。物憂げな瞳が色白な顔に双眸としてはめられている。そして手がお綺麗だ。まるで大理石の白いところをあつめたみたいに手が白くて綺麗だ。ここまで読んでちょっと筆者こだわりすぎかなって思われた方は残念ながら大正解です。まあいいその美しい姿は、だいたい私たちの目の前では、赤胴白星散らし、青袖白星散らしに包まれて、要するに彼は流れ星を一ダースぐらい纏ってやってくるので、本当に彗星の如く現れてお馬さんに乗ってやってきた魅惑の王子様に見えてしまう。 そこまで白髪三千丈ならぬ、白星三千丈と書き立ててしまうのは、やはりあの大井競馬という並々ならぬ非日常の中にあったからであって、大井競馬という文体はファンタジックで巨大なメリーゴーランドに等しく、客席はなんだか花火大会でもはじまるかのようにうかれていて、パドックの周りはもちろん競馬新聞を持った気難しい勝負師の方々が多いけれど、おそらく必ず数人は、大きなレンズのカメラを持った、どちらかというと長浦とか戸田あたりにいそうな、身綺麗な、魔法にかけられてしまったお嬢さんがたがいるのだ(私は身綺麗じゃないのしレンズも小さいので背景の醜い”木”でいい)。流れ星を纏った王子様に魅せられた、魔法にかけられてしまった人々が。

 パドックで騎手が乗って周回する時間は短く、その間に阿鼻叫喚のようなシャッター音が響くときはある。私なんてぶれっぶれにしか撮れない。その緊張感から解き放たれたように返し馬(パドックから出て、馬を大きくレース前に走らせる時)としてお手馬と彼が走り始めると、流れ星をまとった王子様は、魔法で流れ星になってしまう、要するに美しい騎手とサラブレッドは目の前で急加速し猛スピードでゲートに走り去る。

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 月に魔法をかけられ、赤いタスキの可愛い子ちゃんとか、トランプの柄みたいなもう一人のイケメンとか、アンタレスの使いみたいな大井の帝王や、いろんな人たちがうまにのってゲートインすると、うまちゃんたちは魅せられてかつての少年少女たちが馬になったんだな、そういうような錯覚に陥る。

 おそらくもしかしてここは鞭と魔法のファンタジー文学なのかもしれない。絢爛なファンファーレ隊のお嬢さんがファンファーレを吹き、その後に畢竟学状の結果が付いてくる 抜いてもさしても 逃げても先行しても 最後には歓声と夢でしめくくられる。

 だから彼さえきっとおそらく、そういうファンタジックな文学の一ページなのだ 今ここは羊皮紙のページだ。

 でも見る人にとっては 私の目の前のファンタジックな光景は、金銭上のとても重大なレースかもしれないし、まあもともと競馬なんてそういうものかもしれないから、見る人によってはこの羊皮紙は、ただの競馬新聞の1ページなのかもしれない。そう、それでいいのだ、見る人によってはファンタジックで、見る人によってはドライでそれでいいのだ、でも、そこにあるのは、いや、彼にあるのはなにかしらの1ページであってほしいのだ、それはすべての騎手やサラブレッドに対して言われるべきだろうし、いわんや私が彼に対して決めつけてしまうのは暗鬱な思考になってしまうけれど。
 でも私にとっては、許してください、彼は私にとっては小説の中の人間なんです。あまりにもドラスティックな競馬小説の中の登場人物なのです。彼がもし私の目の前に、例えば口取り式のお披露目とか、パドックでの集会で姿を見せたとしても、それは幻覚なのです。私はとうてい、御神本騎手を実在の人間だなんて認められない、彼はきっと漫画か小説かの登場人物で、彼が実在したなんて許せないほどに彼は美しい。
 説明できないことはたくさんあります、じゃあなぜ私のスマホカバーのポケットには、彼がくれた勝ち馬券がはいっているのか(百十円と思い出なら思い出をとった)じゃあなぜ私はまだ日の高い新馬戦で、彼の名を怒号するおじさんの声を聞けたのか(差せましたね)
 じゃあなぜ、あの薄ら寒い明るい第二レースの口取り式あと、綺麗なお姉さんに混じって、私はあなたに握手ができたのか。

 

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 私はいつか終わる御神本騎手という小説を1ページでも、1ページでも読もうともがく醜い木にすぎない、古ぼけたカメラはわりかしいつだってブレた写真しかくれないし、そのなかで奇跡的にきれいにとれた王子様の写真を現像して飾ったりする。
 
 実在しない人は大井競馬場のダートを流れ星のようにかけて行った、流れ星だったからよくわからなかった。

 東京の浜松町と羽田空港奥座敷までを結ぶモノレールを東京モノレールという。がたがたうるさいがわりと速い。
 揺られてだだっぴろい大井競馬場にたどり着いて、パドックサラブレッドに人生相談して、そのうちあの流れ星をひらくのだ。競馬というものを知るにつれて推すようになった福永ジョッキーとちがって、御神本氏を知るのは霹靂であった、なぜなら気づいたら京急線にのって、空港線にいたから。

 小説御神本騎手という本は何ページで構成されていて、わたしはその中の何ページ目を覗きに行っているんだろうか、私はときに悲痛な面持ちで彼を見る。重賞取り逃がして私の胃に穴が空いた時、ああ私はもはや完璧にだめになってしまったのだなと思いながらも、それでも御神本騎手のこと以外は考えられない帰り道もあった。だって美しいのだ、だって全てが美しい、白馬に乗った王子様は第四コーナーからやってくる ああいけません王子様、その子は単勝1.2倍 馬群になんて飲まれては、でもでも でもだってでも私はあなたを応援し続けるだろうし、私はあなたを撮り続けるのだろうと思う。それはもうどんなバッドエンドになったとしても私の責任であるのだ。私はただ読みかけの御神本騎手という小説を拾ってしまって、それに熱中して最後まで読み続け、読み返してもそれは過去であり、ページは否応なく進んで行く。呪いをかけられてしまった醜い木でいいのだ、ただただ追うしかない、ただただ読むしかない、スキャンダラスでグラシアスな、羊皮紙に書かれたとある騎手の小説を、最大限のロマン主義をもってして、最小限の理性をもってして。ああそこに走り去る白馬は確かにいました、名前はフジノウェーブ といいます。

 

 ようこそ大井競馬場へ 私は会いに来ました、羊皮紙の小説よ、白馬の王子様、島根から来た概念よ。

 御神本騎手はそこにいる、ようこそ概念へ、思考を止めてカメラを構える準備は、できていた。

 

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ダービージョッキーに会いに新潟まで行った話

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新潟の空に消えそうになる福永さんに手を伸ばそうとして でも私にはあまりにも新潟の空は広すぎて何もできなかった

 

 目の前を蹄の音を立てて風のように過ぎ去っていったふくながさんをずっと見ていて、まるで涼しかった新潟の空にそのまま駆け上がってしまいそうに見えたけど、日曜日テレビで競馬をみてたらちゃんと札幌にふくながさんいたからたぶんあれは幻だったんだろう。

 

 新潟は暑くはなかった それは台風かなんかで全国が涼しかったらしい 私は無意識のままに気づいたら新潟にいて、気づいたら新潟競馬場にいた。

 

 

 

 福永祐一というジョッキーがいるらしい 私がそういう書き方をするのは、常に彼は私にとって空想にもちかい非現実感の中に存在し、その実在性を考察すればするほどサラブレッドたちは脳内で跋扈しうごめくので掴めないからである。最初に彼の名を知るきっかけとなったのはうら寒い3月のことであった、東京ドームの23番ゲート近くの場外馬券場に家族と怖いもの見たさで入って行って、そこで物珍しさから弥生賞馬連を買った たぶん一番がダノンプレミアムで(それはとてもおいしそうな名前だったから)二番はワグネリアンにした 。馬連だから一番も二番もないじゃないですか そういうかもしれませんが私はなにもわからなかった。どれくらいわからなかったと言われれば、家族と馬券を買うつもりでオッズカードを買ったぐらいにわからなかった。我々は散々な思いで3枚のオッズカードと2枚の馬券を買って東京ドームに入った どちらをおうえんするわけでもないヤクルト対巨人の試合を見て、その途中で阿部がいやらしいほどにホームランを打って巨人は勝った。

 初めて買った馬券はダノンプレミアムとワグネリアン馬連だった。たぶん500円は1500円になった。

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 二度目に馬券を買ったのはあまりにも暑い5月の末のことだった。私は友人と西武ドームで野球を見ることになっていた なぜ馬券を買ったのかと言われたら、そりゃあ日本ダービーだからと答えるしかなかった。前回のビギナーズラックから、私は悪い自信をもって適当に選んだ3頭のサラブレッドにおみくじをまかせることにした それは一頭はおそらく初めてオグリキャップディープインパクト以外に名前を知ることとしたダノンプレミアム、かすかに名前を覚えていたワグネリアン、あとは皐月賞で(このときすでに日曜日のテレビで競馬を見ることはしてたけれどどうだったんだろう)1着だったエポカドーロ それぞれ500円ずつ単勝で掛けた かけた場所はそこにいたるまで日光を目に入れすぎた新宿のウィンズ、日光にやられながら池袋まで行って、気づいたら西武ドームで蒸し焼きにされるための輸送線路の中で騎手の名前を調べていた。 

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 今も忘れない家族から十七番が勝ったとメールが来て、その三十分あとに浅村が二塁を踏み忘れるなどしてライオンズは屈辱的な逆転負けをした。わたしは震えながら三頭の名前が書かれた定期券サイズのぺらがみをもって遊園地電車に乗り、夜をかけて西武線でどこかへ帰った。その夜動画サイトを見て私はワグネリアンの鞍上に居る男の名前を覚えた だって実況がけたたましく、まるで筒香がホームランを打ったかのように言っていたのだ 鞍上は福永祐一ワグネリアンワグネリアン、鞍上は福永祐一

 

 福永祐一の顔を女性ファン向けの公式サイトで確認したのを覚えている。まるで上品な小柄の音楽教師みたいな出で立ちだった。いままでジョッキーといえば武豊氏かルメール氏しか知らなかった私にとって、洒脱で優しそうな顔の福永氏は新しい世界であった。かっこよかった。とてもかっこよかった。

 

 最初に行った競馬場はどこですか?それは府中です。

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 府中でヴィヴロスのぬいぐるみを買ってあとはゆっくりと過ごしていた。パドックで回遊するサラブレッドを見たり、馬券かうところで逡巡したり、放牧されている引退した馬を見たりしていた。しかしてメインレースはやってくる。芝を伝う蹄の音を寝転がりながら聞いている。宝塚記念はミッキーロケットが勝ったらしいですね。鞍上は和田竜二。私はぼうっとした頭で(球場のときよりは飲んでいないはずだったけれど)府中競馬場から去った。電車の中で無造作にスマートフォンを操作して、ふくながさんを再履修していた。育ちの良さそうな優男さんで家族も持っていて、親父さんは本当に素晴らしい人。そういうウィキペディア的な知識を頭につめこみつつ、もちろんあの良血馬キングヘイローのこともしらべた(キングヘイロー号はすでにとある媒体でお嬢さんの姿になっていて、それはかつてお嬢さんにされた軍艦のようにきゃんきゃんと可愛かった) 

 福永祐一氏を調べるうちに、とある感情がこみ上げてきた。ああこの人を 一度でも生で見られることがあったら 私はどれだけ幸せものなのだろう。そして彼方に 芝の彼方に福永さんがサラブレッドで駆けゆく姿を見られれば 私はどれだけ幸せなのだろう。

 

 

 

 夢にまで見た福永祐一

 

 

 なんども不器用な寝ている間の夢を見た 新幹線が止まる夢  競馬のために新潟にいくのを反対されて 怒られる私の夢

 

 私が福永氏を応援したいと思った頃には、競馬は夏競馬に推移し、私は新潟に遠征しないといけないことになっていた。でも昼間の夢を見るためにいろいろと手はずを整えた。夜に見る夢はだいたい悪夢だ。でも夢を叶えたいから、悪夢は忘れたし、まあお盆前の業務はだいたい悪夢みたいなものだったけれど、私は耐えた。夏場の府中を走る馬はいない。私はその時期中央競馬を見るためには新潟か札幌にいくべきなのだ。札幌は遠すぎる、新潟なら 新潟なら そして奇跡的に公休は降ってくる。 土曜の新潟競馬に行ける日程だった 血なまこで新幹線と、派手な社長のビジネスホテルを予約する。わかっている わかっていた わかっていたんだ 出走表を見て確信した。

 

 新潟

 

 新潟での旅は鷹揚だった ”とき”は途中で止まったし、バスセンターのカレーはおいしかったけれど、たべたあと眠くてずっとホテルで寝てしまったし、バスの乗り方はわからなかった。なんとか生き延びて荷物をまとめて二日目に競馬場行きのバスに乗り、私はわけのわからない感情に苛まれながら生き延びていた 乗客はほかはおっちゃんしかいなかった。

 

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 阿賀野川を越えてバイパスを掛けるとそこは新潟競馬場だった。

 

 

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 競馬とはどのようなものですか?

 

 私が思い出すのはいつだって芝の上で寝転んだ記憶だ

 永遠に時が流れるような、でもあと第10レースまで10分しかないんですよ。

 広い広い空の上 記憶を失いそうにして生きてる。

 

 私はよくわからない でも美しいものであるのは確かだ、芝の上を豪速球のように駆け抜けるサラブレッド 蹄の音が客席側まで響く シャッタースピードが足りないんです 彼らを写すには。

 じゃあパドックではと聞かれたら私はあの、回遊魚のように優雅に周回する馬たちが美しくて好きです。そして止まれと言われた彼ら彼女らが、慣れた厩舎員ではなく派手な服の優男淑女にあてがわれた時、いっときの時空的格差に固唾を飲むしかない。全部始まる。全部始まるのかと言われればそこで全部終わってしまうのかもしれません。馬が何考えているか私はわからん。ただただ早く過ぎ去る時間の塊を見つめているだけで

 

 ふり絞られた弓のように走り出す10何頭かを目視できるのかできないかと聞かれたらできない 私は何もできずにボケた写真を量産するしかしなかった。あの蹄の音を耳鳴りのように思い出せるのは、美しいからであって、決して私の頭がいいからではない。馬券を買っておくのは(だいたいそれは単複応援馬券の200円分で)最後の理性(それは射幸心とも言われる)で自分を現世につなぎとめておく必要があるからであって、だってそれ買っておかなかったら、私はただ全頭に乗った福永さんを幻視し、全頭に拍手喝采するだけの理性をなくした生き物になってしまうのだ。それほど尊いのだ サラブレッドは。

 

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 新潟の空に消えそうになる福永さんに手を伸ばそうとして でも私にはあまりにも新潟の空は広すぎて何もできなかった

 

 目の前を蹄の音を立てて風のように過ぎ去っていったふくながさんをずっと見ていて、まるで涼しかった新潟の空にそのまま駆け上がってしまいそうに見えたけど、日曜日テレビで競馬をみてたらちゃんと札幌にふくながさんいたからたぶんあれは幻だったんだろう。絞り切るような曲線美をもってして風をおいこすかぐらいに走っていた彼はすでに幻想だったし、単鞭をしならせた最終コーナー、足音共に熱狂とおじさんたちの声がこだまして、わからない感じになり、わからなくなり、わからなくなりそうだから私は必死に好きな人の背中を探していた。福永祐一福永祐一、どこに乗ってたんだっけ、何番の馬だっけ、ここはどこだっけ新潟だ 新潟 新潟ってどこ?風のように、ふり絞られた振り子のように舞い戻ってくる、まるで走馬灯のような光景。だってみんな派手な服を着ていてなにをしているか皆目見当わからないけれど、みなが弾丸のごとく走っているのはわかるのだ。私は死ぬかもしれない、あまりにも嬉しいから だって目の前を彼が駆けてゆく メインの後の最終レース新潟12R 夢にまで見た福永祐一キャナルストリート号に乗って最後の直線にかけていった。私は夢を見ていない、夢を見ていない、私は確かに目の前に福永祐一を見ていた。ここはどこだっけ 新潟だ 東京に帰るには2時間かかる。しらねえなあ。だってこのまま飛ばせば、数十秒で帰れるよ。一瞬の駆け引きののちに残るは荒涼とした 青々とした 芝。

 

 

 馬券は当たりましたか?最終レースだけ当たりました。でも同着で払戻金は少なくてね。でも万馬券が当たったんです、私たちの待つウィナーズサークル前、はにかんで勝負服に身を包み、鞍も外した若い馬とともに現れたのは福永さんでした。にこやかに話していました。その声だけで万馬券です。

 

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 帰りのバスの記憶はない 帰りの新幹線の記憶はある。ただただ田園風景を見ながら、そこを新幹線と同じような速さで走るワグネリアン号と、それにつかまる福永さんの幻を見ていたやつ。

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